「基地があるからこそ」言説 - 植民地構造への惰性路程

「基地があるからこそ」言説は自らの地位と権威とを維持するために植民地構造に浸った政治家の欲望が垣間見えた幼稚なおこぼれ話である。。。。

 

真実の言葉は力強いです。

自分の目の前のことしか見えていない「政治家」など

こんな若者の言葉の凛とした言葉に比べたら

情けない根性無し男のたわ言にしか思えません。

 

 

2017 VFP (ベテランズ・フォー・ピース) 日本講演「僕たちが見た戦場のリアル」のスケジュール

基地が集中する沖縄は

標的となって、むしろ危険にさらされます

(by 元アメリカ海兵隊の退役軍人マイク・ヘインズさん)

 

 

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※ 上のチラシに訂正があります。詳しくは下記の日程をご確認ください。

 

あの本物の勇者たちがまたやってきた。

 

米国の元軍人による平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」のメンバーが来日、24日、都内で記者会見を行った。元海兵隊員で、イラク帰還兵のマイク・ヘインズさんは、本日25日から、12月上旬まで日本に滞在。各地で北朝鮮情勢の平和的解決や憲法9条を護ることの大切さ、沖縄の基地負担軽減を訴えるという。 https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20171125-00078544/

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全国十か所で講演会、

そしてもちろん辺野古にも !

 

講演スケジュールも添付しておきます。

 

東京 早稲田キャンパス
スリーベテランズ大集合!アメリカVFPメンバー x 元日本兵 x 元自衛官

【日時】2017年11月25日(土)13:30
【会場】早稲田大学 早稲田キャンパス 14号館201教室(東西線早稲田駅徒歩5分)
【出演者】アメリカVFPメンバー
不戦兵士・市民の会 谷口末廣(元日本兵)、高野邦夫代表理事代行)
VFPジャパン 井筒高雄・形川健一
コーディネーター大矢英代(フリージャーナリスト)
【参加費】資料代 1500円
【問合せ先】vfpjapan@gmail.com VFP・ジャパン
【主催】ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン/不戦兵士・市民の会
【後援】ワセダクロニクル/9条地球憲章の会
【FBイベントページ】 

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北朝鮮に対する武力攻撃も辞さない世論が蔓延していきつつある中、ベテランズ(元軍人たち)は何と?...戦争や軍隊のリアリティが欠落している日本において、それを知り尽くした、イラク戦争従軍経験のある元米兵、第二次世界大戦において南方で死地をさまよった元日本兵ジブチへの派遣経験のある元自衛官から、同時に話を聞くという貴重なイベント。日米の、国も場所も時期も違う3人の「元軍人」の話とクロストークにおいて、浮かび上がってくる戦争や平和の本質。そして、今回、元日本兵として登壇頂く谷口末廣氏は97歳。今の日本に危機感を募らせ、自分の過酷な経験をどうしても伝えたいと力を振り絞っての登壇。コーディネーターは、元琉球朝日放送で「テロリストは僕だった」を制作し現在はフリージャーナリストの大矢英代。1日限りのスペシャルイベント。

 

神奈川 横須賀市

ベテランズ(退役兵·元自衛官)と反戦を語る
·横須賀ツアー ·集会終了後、月例デモに参加

【日時】2017年11月26日(日)12:30
【会場】横須賀市生涯学習センター2F・市民ホール(ウェルシティ市民プラザ内)
【参加費】資料代 500円
【問合せ先】tel 046-825-0157
【主催】非核市民宣言運動・ヨコスカ/ヨコスカ平和船団
【FBイベントページ】

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愛知県 名古屋
核と米軍基地 ~元アメリカ兵にきく戦争のリアル~

【日時】2017年11月28日(火)18:30
【会場】イーブルなごや3Fホール
【参加費】500円・事前申し込み不要
【問合せ先】tel 090-8072-0629 粥川(かゆかわ)、mail vfp.aichi@gmail.com
【主催】VFPジャパンツアーあいち実行委員会
【FBイベントページ】 

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兵庫 神戸女学院大学
元アメリカ兵が見た「戦争」と「平和」~アメリカの核と基地~
僕はアメリカ兵だった。戦争を知った僕は伝えなきゃいけない。

【日時】2017年11月29日(水)15:00
【会場】神戸女学院大学 LA1-21教室
【参加費】無料・事前申し込み不要
【問合せ先】kageyama@mail.kobe-c.ac.jp 景山
【主催】神戸女学院大学文学部総合文化学科
【FB詳細ページ】

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大阪 関西大学

軍事帝国としてのアメリカと沖縄、ベテランによる平和運動

【日時】2017年11月30日(木) 第2時限(10時40分〜12時10分)
【会場】
●メイン会場:関西大学 千里山キャンパス 尚文館 マルチメディアAV大教室
※下記会場で中継あり
- 高槻キャンパス A棟2階 第2会議室
- 高槻ミューズキャンパス 西館2階 マルチミーティングルーム1
- 堺キャンパス A棟2階 会議室C
【参加費】無料
【問合せ先】tel 06-6368-1121 関西大学 学長課
【主催】
【FBイベントページ】

 

京都 ひとまち交流館
Go Green 戦争を生み出さない持続可能な社会を語る

【日時】2017年12月2日(土)13:30
【会場】ひとまち交流館 第4会議室(3F)
【参加費】1000円
【問合せ先】vfp2017kyoto@gmail.com
【主催】VFP2017ツアー京都実行委員会
【FBイベントページ】

fb.com

 

 

大阪 リバティおおさか
ぼくたちが見た戦場のリアル ~日本国憲法展特別企画~

【日時】2017年12月3日(日)13:30
【会場】リバティおおさか
【参加費】1000円+会場入館料・大人500円
【問合せ先】luckykenpo2@gmail.com
※なるべく事前にお申込み下さい。
【主催】あすわか大阪 × 大阪人権博物館
【FBイベントページ】

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徳島 徳島大学
ぼくたちが見た戦場のリアル

【日時】2017年12月4日(月)16:20
【会場】徳島大学けやきホール
【参加費】資料代 500円
【問合せ先】090-3784-7254 深田
【主催】安保法と憲法とくらしを考える会
【FB詳細ページ】https://fb.com/VFP2016/posts/1937518056264463

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愛媛(非公開イベント)
「戦争のリアル」と「持続可能な開発」
【日時】2017年12月5日(火)

 

広島 ハチドリ舎
戦争で平和がつくれるの? ~元米兵と元自衛官に聞く、戦争のリアル~

【日時】2017年12月6日(水)19:00
【会場】Social Book Cafe ハチドリ舎 定員30名
【出演者】元米兵2人、元自衛官 形川健一さん
【参加費】参加費2000円(学生1000円)+1drink
【問合せ先】082-576-4368
【主催】Social Book Cafe ハチドリ舎
【FBイベントページ】https://fb.com/events/128840371116126/

「戦争で平和はつくれるの?」 ~元米兵・元自衛官が語る戦争のリアル~

 

長崎 詳細後日発表
2017年12月8・9日(金・土)
 

 

戦争の実相を知らない若い世代は、軍隊がいれば平和になるのだと教えられる。しかし本当の戦争を知っていたら、とんでもない話ですね。

 

元アメリカ海兵隊員「今の日本はイラク戦争前のアメリカと酷似しています」

週刊女性PRIME

 

「平和を前向きに構築していくには、過去に犯した過ちをきちんと認めて謝罪するというプロセスが不可欠です」

 

 そう言って原爆投下や東京大空襲について謝罪し、反戦平和を訴えるアメリカの退役軍人がいる。元海兵隊員でイラク戦争への派遣経験をもつマイク・ヘインズさん(40)だ。

 

 昨年11月、『安保法制に反対する海外在住者・関係者の会(OVERSEAs)』の招きで来日。各地で講演を行い、市民と交流し戦争の実態を伝え歩いた。遡ること'15年12月に沖縄・辺野古を、'16年8月には高江を訪問。所属する米退役軍人らで作る団体『ベテランズ・フォー・ピース』のメンバーとともに市民と一緒になって座り込み、米軍基地建設に抗議している。

 

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私こそテロリストだった

 生粋の平和運動家に見えるマイクさんだが、自身をこう表現してはばからない。

 

テロリスト掃討のためにイラクへ派遣された私こそが、現地で暮らす人たちの生活を破壊するテロリストだった

 

 熱心なキリスト教徒が多いジョージア州の出身。プラスチック製の銃や『GIジョー』の人形、カウボーイ映画に囲まれて育ち、愛国心から高校卒業後の1994年に海兵隊へ。沖縄駐留を経て'03年3月、イラク戦争に出兵した。

 

テロリストがいるとの通報を受け踏み込んだ先は一般家庭がほとんど。恐怖のあまり失禁した少女の叫び声が今も耳に焼きついて離れません

 

 大量破壊兵器はなかった。自由と平和をもたらすため─、その大儀も嘘だった。

 

戦闘に入れば敵と味方の区別は困難。両方に死者が出ますし、仲間からの誤射で亡くなる兵士も多い。一般市民も巻き込まれます。そうした危険は自衛隊が派遣されている南スーダンでも同じです。

 

 そもそも “緊張と暴力が前例のないレベル” と国連が警告するように、参加条件の『PKO5原則』で最も重要な停戦合意が成立していないのだから、派遣自体が違法では?

 

国のリーダーが危険をあおって恐怖心を高め世論を操る

 イラク戦争は泥沼と化した。マイクさんの戦いも、帰国してなお終わりが見えない。PTSD心的外傷後ストレス障害)を発症したのだ。

 

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アフガニスタン駐留経験をもつ元米兵ロリー・ファニングさん(右)とともに会見するマイクさん

 

「どこへ行っても帰還兵はヒーロー扱いされましたが、とんでもない。怒りにさいなまれ、ひきこもるように。人も自分も非難して、誰とも一緒にいられなくなって2年ほどホームレスを経験しました

 

 農業と平和運動を支えに、人前で話せるようになるまで10年かかった。戦争体験を何度も振り返ることは痛みを伴う。それでもマイクさんは、伝えずにはいられない。

 

今の日本を見ていると、国のリーダーが危険をあおって恐怖心を高め世論を操る手法が9・11後のアメリカとよく似ています

 

 中国や北朝鮮の脅威が強調されていますが、考えてもみてください。狭い土地に54基もの原発が並び、地震リスクの高い、天然資源がない国を征服したところでどんな利益が得られるのか」

 

 恐怖にかられると、自分たちとは異なる相手を敵とみなし、同じ人間と思わないようになる。そう仕向けることが戦争遂行の常套手段。

 

「次期大統領のドナルド・トランプは人種差別を公言してはばからない人物。戦争とヘイトスピーチは切り離すことのできない要素ですから、彼は本当に危ない。

 

 そんなアメリカは日本を守っていると言い、また日本側もそう思い込んでいるようですが、大きな間違い。基地が集中する沖縄は標的となって、むしろ危険にさらされます。

 

 建国以来、戦争にまみれてきたアメリカから見れば日本の憲法9条は希望の光。70年以上も戦闘をしていない記録をみなさんで守り抜いてほしいです

  

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今日放送 ! - NHK ETV 特集 ペリーの告白 ~元米国防長官・沖縄への旅~

今日夜です !

 

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ETV特集 - NHK

午後11時00分~

「ペリーの告白~元米国防長官・沖縄への旅~」

クリントン政権下で国防長官をつとめ、北朝鮮の核疑惑に関わり、普天間基地返還合意を主導したウィリアム・ペリー。彼の旅と思索を通じて、戦争と平和について考える。

 

1994年から3年間、米国防長官を担ったペリー。北朝鮮核危機の実態や沖縄基地問題を巡って20時間のNHK単独インタビューに応じた。

 

大田昌秀沖縄県知事との知られざる友情と葛藤、北朝鮮危機と密接にかかわった普天間返還交渉の実態、日米に横たわった不信の存在…。

 

これまで語られてこなかった胸の内を初めて明かした。この夏には自ら沖縄を訪問。再び訪れた危機の時代に、どう向き合うべきか思索する。

 

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No pasarán! ② - 8 どんな嵐にも倒れない樹 - 瀬長亀次郎はガジュマルの樹が大好きだった。どんな嵐にも倒れない、沖縄の生きざまそのものだから。

ここ、沖縄では、

毎日毎日いろんなことがおこり、

前進しているどころか

じりじりと鉄板の上で焼かれながら

後退させられているようにすら思える。

何度も何度も絶望しそうになる。

 

それでも生きているかぎりはあきらめない。

がじゅまるの木のように、

どんな嵐にも倒れないよう、

がっしりと根を張り空に枝を伸ばす。

 

小さな命をまもる「ひんぷん」(塀) になれるよう

願いながら。

 

2017年の夏から秋を記録する。

 
どんな嵐にも倒れない樹
「たあくらたあ」43号 2017Autumn
¡No pasarán! 
 
別々の道 
 
北朝鮮のミサイルが、北海道の上空を通過しました」
 
NHKラジオのアナウンサーが、朝から繰り返し叫んでいた。
米軍のラジオ放送に切り替えると、アメリカンフットボールの話題で盛り上がっていた。ニュースになっても、第一報はアメリカ本国のハリケーン災害だった。仕事をしながら聴いていたので、ミサイル発射のニュースもあったかもしれない。しかし、ラジオの雰囲気は通常どおり、スポーツと音楽であふれていた。
 
 米軍放送と、沖縄地元の放送と、全国放送の落差。いつものことだった。
沖縄で流れている報道と、全国放送のあまりの違いに目眩がする。本土に帰省したときに、友人たちと久しぶりに会話をしても、沖縄のことがほとんど何も伝わっていない。今に始まったことではないが、特にここ数年、沖縄で起こる全国放送級のニュースがほとんど報道されない。高江のオスプレイパッド工事への、千人の機動隊派遣などまさにそうだ。「報道されない暴力」といっていい。前提となる情報量がまったく違う。沖縄と日本本土は、別々の道を辿り始めていると感じている。  
 
 
辺野古の海が見える丘   
 
その丘にのぼると、辺野古大浦湾が箱庭のように見える。手が染まりそうなくらい青い海だ。アメリカ海兵隊キャンプシュワブの対岸にある瀬嵩の丘は、辺野古の新基地建設反対のためゲート前を訪れる人にもあまり知られていない、観光化もされていない灯台跡地だ。 
 

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眼下の大浦湾をはさんで、遠く左手の岬には、マッチ箱のようなシュワブの兵舎が見える。米兵がバーベキューやビーチバレーをする砂浜がある。右手に向かうにつれて砂浜は消え、急な断崖が続くようになる。その崖の上にあるのが、海兵隊辺野古弾薬庫だ。三角形のシェルターのような構造物が樹木のなかに見え隠れする。NHKスペシャルで、復帰前の沖縄に1300発の核ミサイルがあったことがスクープされた。今もこの弾薬庫に何があるのか情報は公開されない。米軍が辺野古にこだわるのは、この弾薬庫があるからと言われている。 
 
眼前に広がるコバルトブルーの海を、巨大なオレンジ色のフロートが、数キロにわたり封鎖している。防衛局に雇われた漁師の警戒船が、そのフロートに沿ってぽつりぽつりと浮かんでいる。フロート内には警備会社の船が24時間体制で常駐し、沖合には海上保安庁の巡視船が停泊している。海猿と呼ばれる海保の警備部隊のゴムボートが、轟音と波を蹴立てて走り回る。そして、クレーンのついた大型の作業台船や、ボーリングをするスパッド台船が、群れをなしてこの美しい海を占領している。 
 
海上護岸工事は4月25日に始まった。網袋に入った採石が、大型クレーンで、辺野古の砂浜に次々と投下され始めた。  
 
 
続く微罪逮捕  
 
ゲートからは、1日3回、合計150台あまりの採石を積んだダンプが入るようになった。そのたびに座り込みの人々は排除され、長時間歩道の片隅に閉じ込められる。ダンプがゲートから出てくるまで、「監禁」は1時間を超えることもある。 
 
ここのところ仕事が忙しくてなかなかゲート前に行くことができない。国頭村採石場から辺野古に向かうダンプの車列と、国道ですれちがうたびに胸が締め付けられる。採石場でダンプをとめる人々もいる。機動隊が駆けつければ簡単に排除されてしまうのだが、1時間でも車両が辺野古に向かうのを遅らせようと、必死の抗議行動が続いている。  
 
この場所で、やんばるの自然の素晴らしさを、川歩きをとおして教えてくれたYさんが、道路交通法違反で逮捕された。ダンプの前にプラカードを持って立っていたからと、手錠をかけられ名護署に連行された。
 
70歳をこえるYさんは、1959年うるま市の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した時に現場に駆けつけた一人だ。死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事だった。Yさんは高校生だった。戦場のような小学校で、無我夢中になって消火活動した。ふと気がつくと一緒に駆けつけた同級生の姿が見えない。同級生の家は学校の裏門前だった。家は焼けて跡形もなくなっており、彼はその前に呆然と座り込んでいたという。母親が亡くなったのだ。その時の何とも言えないやり場のない気持ちを忘れてたことはないと、Yさんはいう。
 
逮捕された日、どんな思いで、砂ぼこり舞う炎天の採石場に立っていたのだろう。Yさんは3日間拘留された。
 
こうした微罪逮捕が、この半年次々と続いている(辺野古の工事が始まって三年間で50人近い人々が逮捕されている)。もちろん不当逮捕なので、起訴されずに釈放される。Yさんは、那覇の検察に行く車の中で、警備課の警官達に、戦後の沖縄の基地反対運動の歴史を講義したそうだ。みな静かによく聴いていたという。「あれたちはゲート前にいるときと態度が全然違ったよ」と。ゲート前に監視カメラが増えている。座り込みの人々を撮影するだけでなく、沖縄県警の仕事ぶりも監視するためだという。 
 
 
迷走する防衛局 
 
4月下旬に辺野古で着工された護岸は、ゆっくりと確実に大浦湾を侵食していった。しかし岸から100メートルほど伸びたところで、作業はストップしてしまった。工事が始まって3カ月。今年は台風も来ていない。なぜ止まったのか、情報公開請求で驚きの事実が判明した。鳴り物入りで「辺野古本体工事着工」と、全国ニュースになったこの工事が、仮設工事だったことがわかったのだ。仮設というのは、役目をおえたら撤去するものだ。本来の計画では、この場所は仮設ではない。さらにこの護岸の沖合に造られる予定だった海上ヤード工事が、取りやめになった。ケーソンという巨大なコンクリートの箱を、仮置きする場所のはずなのに、それを造らないという。いったい何がおこっているのだろうか。 
 
ボーリング調査の結果、軟弱な地盤であることが判明し、設計を変更せざるをえなくなっているのでは、というのが反対運動を支援している専門家たちの見解だ。 
 
さらに前回この連載で紹介した大浦湾の断層が、活断層の可能性も出てきている。地質学の専門家の証言が、しんぶん赤旗のスクープで報道された。この先、知事権限や名護市長の権限で、工事は必ず暗礁に乗り上げる。それなのに1日あたり数億円単位の税金が、この無謀な公共工事に注ぎ込まれている。
 
 
ジュゴンがもたらした吉報 
 
国家歴史保存法」という法律がアメリカにある。日本ではほとんど知られていないこの法律には、こう書かれている。 
 
「海外のいかなる文化財も、米国は侵してはならない」 
「侵した場合は、何人も合衆国を訴えることができる」 
 
この法律をもとに、日米の自然保護団体、そしてジュゴンが原告になって、アメリカの国防長官を相手に起こしたのがジュゴン訴訟だ。もう14年間も続いている。 
 
訴訟の一審は、「政治問題」を理由に門前払いになった。しかしこの8月、二審は、この一審の判断を覆した。天然記念物のジュゴンは、訴訟を起こす資格があり、「政治問題」でもない、とした。この判決は、辺野古の新基地建設工事に間違いなく大きく影響する。ジュゴンの保護が尽くされているか、調査しなおさないといけなくなったからだ。 
 
防衛局は、ジュゴンが「辺野古地先を利用する可能性は小さい」といい、その見解をもとにアメリカ国防総省は「ジュゴンへの影響はない」という。しかし、沖縄本島に10頭あまり、防衛局の環境アセスでは3頭しか報告されていないジュゴンのうち、大浦湾をすみかにする1頭が2年前から姿を消してしまっている。親子連れだったジュゴンの独り立ちした子供の方だ。このジュゴンの主食の海藻がある場所が、轟音を出す海上保安庁のゴムボートの桟橋だ。また辺野古集落に近い浅瀬(イノー)は、7種の海藻が生育するジュゴンにとって最高の餌場だが、仮設道路や護岸工事が始められている。 
 

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沖縄の基地で事件事故がおきた場合、県や市町村などの自治体は、米軍に抗議はできる。しかし、法律や条約にもとづく交渉はできない。そういう面からもこの訴訟は、画期的だった。法的に沖縄の住民が、直接米軍を相手取り交渉できるルートを開いた。日本政府を通さないというところが最大のポイントである。日本政府は沖縄の邪魔しかしない。沖縄県の日本語の抗議文書を、意図的に異なる意味に英訳して米軍に渡す、ということまでする。 
 
 
高江のオスプレイパッド工事では、2万4262本の木が伐採され、この森にはなかった砂利が大量に敷き詰められた。「もう二度と元には戻らんよ」そう言っていた工事業者の言葉が忘れられない。やり直しの工事が、高江の森の中で続いていた。この夏、工事業者の出入りを止めようと早朝4時からの座り込みが何度も行われた。
 

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1日数時間ずつ工事は遅れたが、とうとう完成してしまった。それでも、これからも高江の座り込みは続く。オスプレイの運用停止、北部演習場の全面返還を目指して。
 
ジュゴンは国の天然記念物だが、ノグチゲラ特別天然記念物だ。ジュゴン訴訟と同じノグチゲラ訴訟を、アメリカでおこすことは十分可能だ。アメリカではカリフォルニア州の陸軍基地で、キツツキの保護のために射撃場の閉鎖が行われた事例もあるという。 
 
高江の森には40カ所近いノグチゲラの営巣木がある。絶滅危惧種でもう3百数十羽しかいないノグチゲラが、この森には60羽近く生息している可能性がある。オスプレイが配備されたあと、高江周辺では5羽がバードストライク窓にあたって死亡した。オスプレイの重低音が原因ではないかと、東村のノグチゲラ保護監視員は証言している。 
 
また、ジュゴン保護キャンペーンセンターの吉川秀樹先生が、渡米して「国家歴史保存法」を管轄するアメリカの連邦政府組織(ACHP=国家歴史保存法諮問委員会) を訪ねたとき、事務局長からこう言われたという。ACHPが動くために、沖縄から、米軍の環境破壊、法律違反についてのレポートを出してほしいと。日本政府を飛び越して米軍と直接交渉できるルートがあるのだ。新しいステージが、沖縄の人々には見えている。
 
 ゲート前に座り込みに行ってきた妻から、今日はYさんが元気に司会をしていたと聞いた。
 
復帰前の「島ぐるみ闘争」で米軍と直接対峙した政治家の瀬長亀次郎は、ガジュマルの樹が大好きだった。どんな嵐にも倒れない、沖縄の生きざまそのものだから。
 
 

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 「ひんぷん」とは屋敷の正門と母屋との間に設けられた屏風状の塀のことで、外からの目隠しや悪霊を防ぐものといわれます。乾隆15年(1750年)具志頭親方蔡温は、当時の運河開通論と王府の名護移遷論議を鎮圧するため、三府龍脈碑を建てました。この石碑がひんぷんのように見えることからヒンプンシーと名付けられ、その隣に生育するガジュマルもいつしかひんぷんがじまると呼ばれるようになりました。

 ガジュマル(Ficus microcarpa L.f.)はクワ科の常緑高木で、屋久島以南の亜熱帯から熱帯にかけて分布し、沖縄では屋敷林、緑陰樹として広く植裁されています。漢名は榕樹で、幹はよく分岐して枝葉は四方に繁茂し、垂下する気根は地上に降りて幹となり、広く美しい樹冠をつくっていきます。
 ひんぷんがじまるは、推定樹齢 280~ 300年、樹高19m、胸の高さでの幹周囲は10m、樹冠の広がりは長いところで直径30m、堂々とした容姿は市のシンボル、そして街のひんぷんの役割を担っています。ひんぷんがじまるの特異な景観は古くから衆目の的になり、写真におさまる周辺の様子で街の移り変わりを知ることもできます。名護の街の移り変わりを見てきたひんぷんがじまるは、まさに「市民の木」です。

機動隊も海猿も防衛局員も怖いです。圧倒的な物量で沖縄を沈めようとしている気がします。

 

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(By courtesy of Osamu Makishi)

 

今日の辺野古・大浦湾
 
おかしいですよ、
何度も何度も選挙で答えをだしてきたのに、
 
それでもこうやって国民の税金を湯水のように投入し
 
勝手に沖縄の土地を削り、
暴力的にサンゴの海を瓦礫で埋めようとしています。
 

 

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陸上からの搬入が抗議に直面し困難だとわかれば、
こんどは海上からの石材搬入をすすめ、
 
奥区で座り込んだお年寄りたちの涙の抗議を無視し、
大きな船で石材を運び込んでいます。
 
 
 
 
石材をもってきても
陸上でも海上でもみんな抵抗しています。
 

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機動隊も海猿も防衛局員も怖いです。
圧倒的な物量で沖縄を沈めようとしている気がします。
 
工事する人たちも、警備する人たちも、離れてくださいとアナウンスしている人たちも、こんな途方もない無駄な税金を垂れ流し、違法な工程をわかっててやり続けながら、自分たちのほうこそが侵入者であり破壊者であることが、うすうすとでも肌に滲みてくるから、逆にこんなに冷酷さや、時に、憎しみをむけてくるのかな、とも思えてきます。わざとカメラをしつこく向けてきます。
 

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 (By courtesy of Osamu Makishi)
 
 
なにがおかしいって、
おかしいのは沖縄ではないですよ。
 
ちゃんと本土の人たちに
沖縄の現実が声がとどいているんでしょうか。
 
高学歴社会、情報化社会と言われながら、
いま、日本の民主主義はどうなっているんでしょうか。
 
人々の声はどこにあるんでしょうか。 

住民無視の強行 - 小さな集落の小さな漁港の朝

twitter.com

 

国頭村奥の集落は、最北端の辺戸岬より遠い。

 

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名護からの国道58号線、辺戸岬までは海岸沿いに弓なりの道が延々と続く。そこを過ぎると道は急に山深くなり、「やんばるくいな注意」の道路標識が頻繁に出てくる。
 
 やんばるくいな注意 に対する画像結果
 
道路の両側は鬱蒼たる亜熱帯の森で、ここからいよいよ、ヤンバルの森の深奥部に入っていく気配に満ちている。山を越えて突然再び海にぶつかる。奥の集落だ。
 
ここは、山と海に囲まれ、牧歌的で静謐さに満ちている人口180人あまりの、小さな、ほんとに小さな集落だ。
 
ここに、一日380台のダンプが押し寄せるという。小学校の近くにある漁港から、辺野古海上工事に使う採石を搬出するために。
 
その搬出作業が、今日から始まった。
 
国頭村島ぐるみの呼びかけで、早朝7:30に奥の漁港に着いた。小学校の横から入っていく漁港への道は、すでに機動隊に封鎖されて一般車両は入れないようになっていた。あとでよく考えたら、この規制もどんな法的根拠に基づいているのかと思う。
 
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歩いて漁港に向かう。国頭村島ぐるみメンバーを中心に50名近い人々がすでに集まっていた。奥の住民も数十人いた。平日の朝だから、高齢の人がほとんどだ。
 

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少し地元の人の話を聞いた。小学校も近くにある集落の道を、日に何百台というダンプが往来し、騒音と排気ガスと粉塵を撒き散らすのは、絶対許せないという。
 
辺野古基地建設に反対でない、奥の住民も来ていた。この男性は住民に何の説明もないことに怒っていた。名護で会社経営をしている人だった。その土地で事業をするなら、まず住民にお願いするのが当たり前で、防衛局にはその常識さえもないのかと。防衛局だけでなく、漁港使用の許可を出した沖縄県職員も、誰も奥区に説明に来ていない。「うしぇーられてる」(ばかにされてる)という声をこの朝何度も聞いた。

 

巨大な台船が漁港に入ってきた。
 

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住民の方達は呆然と岸壁に座り込んでいる。

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小さなハンドマイクで、集会が始まった。
国頭村島ぐるみ共同代表の挨拶のあと、地元の人のスピーチがあった。人の前で話すのはとても苦手です、とことわって話された訥々としたスピーチだった。
 

自分もこっちの出身であります。奥で生まれて育ってまさかこんな日が来るとは思ってませんでした。この港ができて40年近く立ちますが、当時、「島伝い観光」を歓迎して、作られたんで、こんなことのために、基地を作る作業のために作られたんじゃないんです。 自分にも奥の血が流れてます。いつもこの島(集落)のことは気にしてるんですよ。いてもたってもいられず、今日はここに駆けつけてきました。自分は百姓してます。非常に忙しいです。百姓というのは、一日作業遅れたら、タイミング悪ければ二週間遅れることもあるんですよ。一人で、奥の山の上で農業頑張ってます。自分の仕事に誇りを持っています。

 

戦争体験者と思われる年配の女性が、島の歴史も話してと声をかけた。戦争の時に国頭村であったことが語られた
 
先の大戦では、ここ国頭村でも中南部から避難してきた人が、9名の人が、日本軍に虐殺されました。日本刀突きつけられて殺されてしまったんですよ。 戦争というのは異常な時代だなあ。戦争というのはわかればわかるほど反対してきますよ。…… 心があるからわかるよね。
 
皆に語りかけるというより、静かに自問自答するような不思議なスピーチだった。
 

沖縄には素晴らしい政治家がいっぱいいたなあ。屋良朝苗 さん、喜屋武真栄さん、大好きな瀬長亀次郎さんも、もうあの世に行ってますけど、このありさまみてなんと思ってるかなあ。

 

このあと 地元住民の「説明会を開いてください」の呼びかけを、防衛局調達部土木課長は、まったく黙殺した。
 

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そして25台の第一陣のダンプが漁港に押し寄せてきた。

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機動隊にごぼう抜きされても、何度も戻って座り込んだ。辺野古ゲート前と違ってフェンスがないので、囲い込みができなかったからだ。
 

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地元の杖をついた年配の女性たちは、目に涙を浮かべてその様子を見ていた。
 

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大田さん (元沖縄県知事) の生きのびた壕を発見

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故・大田元知事が生きのび投降した壕を発見。

沖縄戦に関する写真を多数公開していた「沖縄国際平和研究所」も今年九月に財政難で閉鎖されましたが、歴史研究や政治や経済、沖縄の戦後史を大田さんなくしては語ることはできません。

なんらかの形で大田さんと沖縄の戦後史をみつめる資料を離散させないでまとめて展示できる資料館などを作ってほしいです。

大田さんは常に子どもたちが犠牲になる戦争というものの実相を私たちに伝えようとしてきました。

大田さんのレガシーを今また私たちが受け継いでいきたいと思います。

 

 

 

沖縄戦 大田元知事の投降場所、野戦病院2半部壕確認 八重瀬

 

 元県知事で沖縄戦時、鉄血勤皇隊の一員だった故大田昌秀さんが米軍に投降するまで身を潜めていた病院壕(ごう)が、八重瀬町小城にあることが9日、分かった。「第24師団第2野戦病院2半部壕」で、沖縄戦のボランティアガイドらが初めて特定した。

 

 大田さんは自伝を含め、沖縄戦に関する多くの著書を残したが、米軍に捕らわれた場所は明示していなかった。


 大田さんは沖縄師範学校男子部在学中の1945年3月、鉄血勤皇隊して日本軍に動員された。首里の司令部壕を5月に出た後、糸満市摩文仁など県南部を転々。9月下旬ごろ、「八重瀬周辺の野戦病院」で投降した。それがどの壕だったのか分からないまま、今年6月に92歳で亡くなった。


 県平和祈念資料館友の会の事務局長、仲村真さん(62)=浦添市=が9月ごろ、大田さんと同じ壕にいた元日本軍軍医の手記を発見。地元ガイドの金城優さん(77)の協力を得て、9日、現在の小城公民館から南東に約200メートルにある壕を確認した。

 

 元軍医の手記によると、壕の建設は45年2月上旬に着手され、2カ月ほどで完成した。「ヨ」の字形の内部には50メートルの通路が3本あり、最高300人余りの負傷者を収容したという。高さ約30メートルの丘にあったが、現在は入り口も岩でふさがれ、内部の様子はうかがい知れない。大田さんはこの壕で、45年8月中旬から1カ月余り身を潜めた。

 

 この日は、大田さんが理事長を務めた沖縄国際平和研究所(9月末に閉館)の関係者も同行し、壕の跡を確認した。元スタッフの藤澤英明さん(53)は「大田先生の顔が目に浮かんできた。確認できて本当に良かった。当時は多くの日本兵や日本人が隠れていた。戦跡の一つとして、記憶されるべき場所だ」と話していた。

 

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内容保存の為、現在残っている沖縄国際平和研究所の HP を記録しておきます。

 

沖縄国際平和研究所

■沖縄国際平和研究所が目指すもの■

 ○国内外の戦争と平和について学術的分野から多角的に研究を進めるとともに、さる沖縄戦で県民が経験した真実とその要因を徹底的に解明する。
 ○沖縄の伝統的平和思想の由来を探り、県民が誇りにする平和希求の強さを踏まえ、国際平和の創出に寄与できる体制を培う。
 ○沖縄にとっての諸悪の根源をなす基地問題の解決を図り、「基地の島」を「平和のメッカ」に変える活動を先導する。
 ○「積極的平和」の醸成に努め、平和教育の推進と「基地経済」からの脱却、自立経済の確立に努める。
 ○反戦平和志向の人材育成と国際的ネットワークづくりを展開する。

■沖縄国際平和研究所が行う事業■

 そのために、沖縄国際平和研究所は次のような事業を行います。
 
 ○前記の目的を達成するための関連文書の調査。収集。
 ○沖縄戦と広島・長崎の原爆写真・ドイツのホロコースト朝鮮戦争日中戦争のジェノサイド写真の
  常設展示と、それらのフィルム上映活動。
 ○平和講演やシンポジウムの開催、平和学・平和研究者への指導と助言。
 ○戦争と平和に関連する文書資料や図書の出版と販売

■ごあいさつ■

沖縄国際平和研究所 理事長 大田昌秀

私は沖縄県知事時代、平和行政の三本柱として、

(1)平和祈念資料館の移設と展示内容の充実 

(2)敵味方の別なく、軍人・非軍人を問わず沖縄戦で戦死したすべての名前を刻印して永久に残す「平和の礎(いしじ)」の建立 

(3)沖縄国際平和研究所の創設、

を目標に揚げました。幸い県議会と県民のご支持を得て前二者の目標は実現できましたが、(3)の目標は時間切れで実現できませんでした。


 そのため県から身を退いて後、個人的平和研究所を設立、沖縄戦基地問題のほか平和問題などの研究に取り組んできました。しかし、個人的研究所では時代の要請にこたえることができないだけでなく、沖縄が直面している解決困難な問題にも適切に対応できないことを痛感するようになりました。


 そのため、今年2013年の新年を契機に決意も新たに個人的研究所を念願の沖縄国際平和研究所に衣替えすることにしました。が、何分新芽を出したばかりなので、江湖の皆様お一人ひとりの物心両面からのご支援を賜り立派に育て上げることを切願する次第です。


 昨今の経済的不如意の状況下でお願い申し上げるのも心苦しい限りですが、私たちが沖縄のために多少なりとも貢献ができますよう温かいご協力を頂けたらこの上なく幸甚に存じます。

 

沖縄国際平和研究所 理事長
大田昌秀・プロフィール

1925(大正14)年6月 沖縄県久米島具志川村(現久米島町)に生まれる。
1941(昭和16)年 沖縄師範学校に入学 。
1945(昭和20)年  沖縄師範学校2年在学中に、鉄血勤皇隊の一員として沖縄守備軍・第32軍に動員される。同隊の情報宣伝部隊である「千早隊」に所属し、10月に捕虜となって生還するまで、沖縄本島南部の日米最後の激戦場を生きる。
1946(昭和21)年8月 沖縄文教学校を卒業 。
1948(昭和23)年3月 沖縄外国語学校を卒業 。
1951(昭和26)年 早稲田大学に入学、教育学部で英語を学ぶ。
1954(昭和29)年 早稲田大学を卒業し、米国シラキュース大学大学院に留学。ジャーナリズムを学ぶ。
1956(昭和31)年6月
        10月
同大学大学院修士課程を修了。
1958(昭和33)年7月 琉球大学講師(文理学部社会学科)となる。
<1963年~1964年 東京大学新聞研究所で研究>
1968(昭和43)年4月 琉球大学社会学科教授となる。
<1968~1970年 東京大学新聞研究所で研究>
<1973~1974年 ハワイ大学東西文化センターで教授・研究>
<1978~1979年 フルブライト訪問教授として米国アリゾナ州立大学にて教授・研究>
1983(昭和58)年 琉球大学法文学部長となる(~1985年)。
1990(平成2)年3月  沖縄県知事選挙に出馬のため琉球大学を辞職。
1990(平成2)年12月 沖縄県知事となり、1998年まで2期8年、「平和」「沖縄の自立」「共生」を目標に全力を傾注する。
1991(平成3)年1月 大田平和総合研究所(現沖縄国際平和研究所)を立ち上げる
2001(平成13)年6月 参議院議員となる(社民党 ~2007年)。
2013(平成25)年6月  特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所設立。 

 

2017年(平成29年)- 6月12日、呼吸不全・肺炎のため那覇市内の病院で死去。92歳でした。

 

 

沖縄戦ホロコースト写真展示館

 沖縄戦ホロコースト写真展示館は、沖縄国際平和研究所理事長・大田昌秀の「戦争のない平和な社会創出」への熱い思いによって開設されたもの。
 大田昌秀は、1945(昭和20)年、太平洋戦争最後の激戦となった沖縄戦鉄血勤皇隊の一員として動員され、沖縄本島南部の激戦場に投入されたが、奇跡的に生還。以来、戦後67年間、沖縄戦とは何かを問い続けてきた。
 沖縄戦ホロコースト写真展示館は、沖縄国際平和研究所の1階と1~3階のロビーにある。この展示館に展示されている写真のテーマは大きく三つである。中心は、沖縄戦を伝える写真(約1,000点)。この写真群は、大田昌秀が米国を中心に何度も足を運び収集してきた沖縄戦関連写真数千点の中から厳選したもの。②広島、長崎原爆関連写真、ホロコースト日中戦争朝鮮戦争でのジェノサイドの写真(約50点)、そして③戦後沖縄関連写真(約900点)である。
 戦争を知らない世代に「沖縄戦」の実相を知ってほしいとの思いからできた沖縄戦ホロコースト写真展示館」。その詳しい内容を紹介しよう。

 

沖縄戦・・・1階

  1. 沖縄戦前夜ー真珠湾~十・十空襲
  2. 開戦ー米軍、慶良間諸島上陸
  3. 地上戦開始ー米軍、沖縄本島上陸
  4. 南への進撃ー本島中部の闘い
  5. 本島分断ー本島北部の闘い
  6. 守備軍の撤退ー首里那覇をめぐる闘い
  7. 戦場の住民ー軍隊は住民を守らない
  8. 最後の激戦ー本島南部の闘い
  9. 戦いのあとー降伏から東京裁判まで
  10. 再生ー収容所と戦後復興
  11. 基地化開始ー「祈りと誓い」のゆくえ

特集・・・1~3階

  1. 祈りと誓いー慰霊碑・慰霊塔
  2. 王国と県ー沖縄戦の淵源
  3. 心理作戦ー宣伝ビラ
  4. 無謀な攻撃ー日本軍の特攻
  5. 孤立無援ー島々の闘い
  6. 抵抗の果てー捕虜たちの姿
  7. 「戦後」開始ー占領体制の構築
  8. 「アメリカ世」の風景1-復興の光と影
  9. 「アメリカ世」の風景2-戦後初期の風景(マッカーサー記念館所蔵写真から)

特別展・・・1階

人間が人間でなくなるとき

  1. 核の恐怖
  2. 民族の問題
  

沖縄戦 集団自決 消せない傷跡(山城博明氏撮影写真)

戦後編 戦後沖縄の苦闘・・・1~3階

  1. 今も続く沖縄戦ー「構造的差別」の現状(兼城淳子氏、伊藤昭嘉氏撮影写真)
  2. 基地のなかの沖縄ー土地闘争と事件・事故
  3. 高揚する住民運動ー「構造的差別」との闘い
  4. 立ち上がる人々ー戦後復興の諸相

 

 

大田昌秀著書リスト


平和で豊かな沖縄を切望して50数年、70冊余りの著書にあらわれています。できるだけ多くの皆さんに読んで頂きたいです。

 No  著書  出版年  出版
沖縄健児隊(共)「血であがなったもの」 1953年 日本出版共同株式会社 
父の戦記(共)「<沖縄>野を紅に染めて・・・」 1965年 朝日新聞社 
沖縄の言論ー新聞と放送ー(共) 1966年 南方同胞援護会 
沖縄の民衆意識 1967年 弘文堂新社
醜い日本人ー日本の沖縄意識ー 1969年 サイマル出版会
現代の差別と偏見(共) 1969年 新泉社
沖縄県史 第二巻各論編ー(共)「大正・昭和期の県政」 1970年 沖縄県教育委員会
拒絶する沖縄ー日本復帰と沖縄の心ー 1971年 サイマル出版会
沖縄経験ー大田昌秀大江健三郎(共) 1971年 沖縄経験刊行会
10 沖縄の心ー沖縄戦と私ー
1972年 岩波書店
11 近代沖縄の政治構造 
1972年  勁草書房 
12 沖縄の今と昔(共)「首里城下町の回想」 1973年 月間沖縄社
13 沖縄県史 第五巻各論編四文化ー(共)
「新聞・放送」
1975年 沖縄県教育委員会
14 伊波普猷-人と思想ー(共)
伊波普猷の思想とその時代」
1976年 平凡社 
15 沖縄学の黎明「伊波普猷の学問と思想」
伊波普猷誕生百年記念会編ー(共)
1976年 沖縄文化協会
16 沖縄崩壊 1976年 ひるぎ社
17 これが沖縄戦だー写真記録ー 1977年 琉球新報社
18 鉄血勤皇隊 1977年 ひるぎ社
19 岩波講座 日本歴史二三現代二(共)
「占領下の沖縄」
1977年 岩波書店
20 那覇市史 戦後新聞集成ー資料篇第三巻三(共) 1978年 那覇市企画部市史編集室
21 日本占領軍ーその光と影・下巻(共)
「<対談>軍政下の沖縄」
1978年 徳間書店
22 戦争と子供
ー父から、戦争を知らない子たちへー
1980年 那覇出版社
23 沖縄人とは何か 1980年 グリーンライフ社
24 日高六郎編「軍備は民衆を守りうるか」
憲法改悪反対運動入門」(共)
1981年 オリジン出版センター
25 This War The Battle Of Okinawa 1981年 那覇出版社
26 総史沖縄戦
1982年 岩波書店 
27 沖縄ー戦争と平和 1982年 社会新書
28 沖縄久米島?沖縄久米島の言語・「戦時下の久米島」文化。社会の総合的研究報告書(共)「社会についての一考察」 1982年 弘文堂
29 沖縄の帝王ー高等弁務官
1984 久米書店
30 那覇十・十大空襲
1984 久米書店
31 The Battle of Okinawa -The Typhoon of Steel and Bombs -
1984 久米書店 
32 平和に願いをこめて(一二)沖縄戦後編
「いくさやならんどー」(共)
1984 第三文明社
33 沖縄戦没者を祀る慰霊の塔 1985年 那覇出版社
34 沖縄戦とは何か 1985年 久米書房
35 写真集・沖縄戦後史(共) 1986年 那覇出版社
36 日本占領の研究(共)
「アメリカの対沖縄戦後政策」
1987年 東京大学出版社
37 西原町史「西原の戦時記録」第三巻資料篇
西原の戦時記録(共)
1987年 西原町役場
38 The U.S Occupation of Okinawa and Postwar Reforms in Japan Proper 1987年 University of Hawaii Press
39 写真集・沖縄戦(監修) 1990年 那覇出版社
40 「平和」を語る
1990年 県民の会
41 検証 昭和の沖縄
1990年 那覇出版社
42 沖縄の挑戦
1990年 恒文社
43 「人間が人間でなくなるとき」
ジェノサイド
1991年 沖縄タイムス
44 沖縄を考える 大田昌秀教授退官記念
論文集
1991年 大田昌秀退官記念事業会
45 見える昭和と「見えない昭和」
1994年 那覇出版社
46 世世世(筑紫哲也氏と対談) 1995年 沖縄タイムス
47 ひたすらに平和の創造に向けて
1996年 近代文芸社
48 沖縄は主張する 岩波ブックレットNo.397 1996年 岩波書店
49 平和の礎
1996年 岩波書店
50 沖縄県知事証言 1996年 ニライ社
51 沖縄師範学校学生の実録 1998年 千早隊手記出版編集
委員会
52 沖縄からはじまる(池澤夏樹氏と対談)
1998年 集英社
53 留魂の碑ー鉄血勤皇師範隊はいかに戦塵をくぐったかー 1998年 龍潭同窓会
54 これからの日本をどうするー自由の森大学講座ー(筑紫哲也 福岡政行編) 1998年 日本経済新聞社
55 大田沖縄県知事1~8年のあゆみ 1998年 大田昌秀政経文化研究会
56 沖縄 平和と自立への闘い
写真と記録で見る大田知事の2990日
1999年 大田県政8年を記録する会
57 OKINAWA COLD WAR ISLAND 1999年 JPRI
58 ウチナーンチュは何処へ -沖縄大論争ー 2000年 実践社
59 沖縄の決断
2000年 朝日新聞社
60 醜い日本人 -日本の沖縄意識ー再販
2000年 岩波書店 
61 The Essaya on Okinawa Problems
2000年 ゆい出版
62 沖縄、基地なき島への道標
2000年 集英社
63 血であがなったもの
2000年 那覇出版社
64 有事法制は、怖い
沖縄戦が語るその実態ー
2002年 琉球新報社
65 沖縄差別と平和憲法日本国憲法が死ねば「戦後日本」も死ぬー
2004年 BOC出版 
66 沖縄戦下の米日心理作戦
2004年 岩波書店 
67 平和の礎特集号 大田昌秀参議院議員
国会活動3年間を振り返る
2005年 大田昌秀後援会 
68 日本にとって沖縄とは何かー沖縄戦の教訓と基地再編を問うー 2005年 大田平和総合研究所
69 死者たちは、いまだ眠れず
2006年 新泉社
70 沖縄の「慰霊の塔」
2007年 那覇出版社
71 沖縄戦を生きた子供たち
2007年 クリエイティブ21 
72 徹底討論 沖縄の未来 2010年 芙蓉書房出版 
73 こんな沖縄に誰がした
2010年 同時代社
74 二人の「少女」の物語 沖縄戦と子どもたち
2011年 新星出版