「沖縄を返せ」 ー 歌に込められた想い
復帰45年「民族」「県民」揺れる思い
「沖縄を返せ」歌詞は映す。
「沖縄を返せ」
かたき土を破りて 民族のいかりにもゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が 血と汗をもって 守りそだてた沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ
歌が作られたのは復帰前の 1956年。
そして今も、島が踏みにじられるたびに、
この歌が沖縄の大地から響きあがる。
1956年の復帰運動時代の「沖縄を返せ」から、
今の、元の平和な沖縄に、平和な「沖縄に返せ」まで。
県民に歌われ続ける歌の意味とは。
夜中に山本太郎さんらが駆けつけた、あの辺野古への大型クレーン車搬入阻止の座り込みの時には、殺人鉄板といわれる作業ゲートの上に、みんなで、ダイインのように寝転がって「沖縄を返せ」を歌いました。あのときには「民族」の怒りって歌ったんです。
政府主催の 4.28 の沖縄が切りすてられた日にわざわざ行った「主権回復の日」へのカウンター集会など、島が踏みにじられる度に、あのときもみんな「民族」と歌いました。
2015/01/14
辺野古ゲート前 「沖縄を返せ」あの鉄板上で最後まで歌い続け 抗議し続けた。フロートはまだ搬入されていない(山城博治)
山城ヒロジ 「沖縄に返せ」 2013.04.28 屈辱の日沖縄大会