普天間。かつてあった普天間の美しい町並みの遺構を少しでも残したい、私たちの先祖が生きた土地、いまは米軍基地に奪われたこの土地で。

胸がいっぱいになる。

 

まっすぐに普天間神宮から続く

白い琉球石灰岩で敷き詰められた道

 

f:id:freeokinawa:20171224145444j:plain

 

どんな美しい街並みだったのでしょう、

わたしたちの先祖が生きた土地、

いまは米軍基地に奪われたこの土地で。

 

かつてあったひとびとの暮らし、

ここに生きた人々のざわめきが聞こえてくるようです。

 

沖縄戦で生き残った人々を収容所に入れられ、

そして町すら米軍基地に奪われた。

 

そんなことも知らないで、

米軍基地のまわりに町をつくって住んでいるなどと、

なんでそんなことが言えるのでしょうか。

 

歴史学者でもない、沖縄に二十数年間も来たことがないという百田尚樹さんの口からでまかせの嘘、「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売 になるということで住みだした」は、沖縄の歴史と人々の暮らしそのものを棄損するものです。沖縄に二十数年も来たことがない、歴史学者でもない人物の言葉が、沖縄の真実よりも信ずるに値するとでもいうのでしょうか。まったく奇妙な話です。

 

基地に奪われた土地の下に、

うちなーのひとびとの暮らしが埋められている。

 

本土の多くの人にも見てもらいたいので、

ブログに記録しました。

 

f:id:freeokinawa:20171224145012j:plain

 

This is the old road we lost since 1945, because American military base had taken this land from citizens. We could see this for the first time in over 70 years!

 

目かっぽじって観ててください。

 

西普天間地区の中に、幸運にも入ることが出来ました。

返還予定地で、琉大病院や普天間高校が移設を検討してる場所。

 

宜野湾市教育委員会文化課が、いま米軍住宅のあったところを文化財調査中で、

掘り返してみたらば出てきた、大正時代に敷設された石の道

 

琉球石灰岩が白く、真っ直ぐに普天間神宮から58向けに続いています。

戦前はサトウキビを運ぶための馬車やロッコの線路もあり、

枕木や釘のあとも残っています。

 

残すかどうか協議中だとのことですが、

もし開発のために埋め立てられても、

100年後にもしかしたら、また日の目を見ることが出来るかも知れない。

 

70年ぶりの、そして100年先までの、貴重な一瞬。

#西普天間 #普天間神宮 #返還予定地 #沖縄 #lostokinawa #road #lostokinawa

 

f:id:freeokinawa:20171224145032j:plain

 

もうわんさか、縄文時代の遺跡から戦前までの生活の跡まで、残ってるそうです。


外人住宅ってコンクリだけだから、杭を打たないらしく、それだから破壊されずに残ったそうな….°(ಗдಗ。)°.

 

もしご興味がありましたら出来るだけ早く見学を、と学芸員の方が仰ってました。普天間高校も大事だけど、これも残さなあかんやつだと思います。

 

f:id:freeokinawa:20171224141905p:plain

 

f:id:freeokinawa:20171224142237j:plain

 

 

頂いた資料①

ここにはトロッコ鉄道がとおり、普天間宮から大山駅まで続いていました。

 

f:id:freeokinawa:20171224142340j:plain

 

頂いた資料②
祭祀跡から貝塚から洞窟遺跡から、もう遺跡だらけです。

 

f:id:freeokinawa:20171224144641j:plain

 

ものすごく古い遺跡もいっぱいあるらしく。

どんな街で、どんな暮らしがあったのでしょう。

 

f:id:freeokinawa:20171224145419j:plain

 

ちなみに、右側で働くユンボーたちは、不発弾やら土壌汚染を全部掘り返して確認してる最中だそう。不発弾や汚染物質をクリーンにして地権者に返すこと、これも日本側、私たちの税金でまかなわれます。米軍は何の責任も負いません。

 

そして、なんと !

いま、見学できます!

 

宜野湾市教育委員会文化課にお電話してみてください。
 
見学希望なら出来る限り早めに、と仰ってました。
いつ埋めもどすか分からないんで。。。
 
何とか保存できないでしょうか。
 
そして、いっぱい写真とりましょう !
 
< 追加情報 >
 
連絡してみますと、11月に見学会は終了
 
問い合わせが多いので来年の3月に再度企画を検討中、とのことでした ! ぜひもう一度見学会を実現できるといいですね。
 
 
沖縄は、島の形が変わるかといわれるほどの攻撃をうけ、生き残った人々は収容所に入れられ、そして人々の町はブルトーザーで破壊され、どんどんと米軍基地が作られていきました。大切な家族を失っただけではなく、家系図などもひっくるめて、家族の歴史そのものも失ったのです。沖縄は沖縄の人々の命と土地を奪われただけでなく、その沖縄の歴史と遺構そのものも奪われたのです。だから、ほんの少しでも残されている歴史的な遺構は大切に残していきたい。私たちのためではなく、子どもたちの為に。朱里の龍潭池の旧水路の遺構もなんとか残してほしいです。
 
 
参考資料

戦前の宜野湾集落 CGで再現

 

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » 戦前の宜野湾集落 CGで再現

さてこちらの映像、戦前の集落を再現したものなんですが何処だと思いますか?実は普天間基地に接収される前の宜野湾市の街並みなんですね。

4年をかけて完成した映像のお披露目会が25日開かれ旧集落の郷友会の人たちが失われた街の記憶を語り合いました。

普天間基地が造られる前に存在した宜野湾集落のCG映像。地域のシンボルだった松並木の街道のほか、それぞれの家屋には屋号も振られるなど、基地に奪われるまでのふるさとの光景が広がっています。

字宜野湾郷友会では、当時を知る会員への聞き取りやアメリカ軍の航空写真をもとに、4年の歳月をかけてこの映像を完成させました。

郷友会の人々「あったーるねーんど。あんな町はないよ。学校もあるし。役所もあるし」

字宜野湾郷友会宮城政一会長「そこは集落だったと、自分たちのふるさとだったというそういったことを示す証にもなるんじゃないかなと思ってます」と話しました。

映像を収録したDVDは郷友会や教育機関などに配布されます。

  

f:id:freeokinawa:20171224150459j:plain