ブレないチムグクル (肝心) 稲嶺ススムのインタビュー「沖縄はもう基地の恩恵を受けてはいない」「すべては子供たちの未来のために、すべては未来の名護市のために」

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尊敬する政治家、

稲嶺ススム。
 
このひとは絶対にぶれないです。
ウチナーのチムグクル (肝心) で市長をしているから。
 
数か月単位でゴロゴロ変わる政治家は多いけど。
例えば対抗馬の渡具知さんは、公明党の支持を取り付けるために、あれだけ最優先事項だった「辺野古移設」を封印し、交付金だけもらうとか言っています。移設もなく交付金など手にできるわけもないのに、二重三重でうそばかりです。
 
でも !
稲嶺ススムはぶれません !
 

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名護の地で、名護の未来をちゃんとみて政治をできる人です。
 
ブレない稲嶺ススムの四年前のインタビューを紹介します。
 

稲嶺進・名護市長独占インタビュー「沖縄はもう基地の恩恵を受けてはいない」

ダイヤモンド・オンライン

2014.3.27

「沖縄は基地経済で飯を食っている、というのは誤解だ」と語る稲嶺進・名護市長
Photo by Toshiaki Usami

 

なぜ沖縄ばかりが基地問題に苦しまなければならないのか――。

1月に行われた名護市長選挙では、有権者数4万6500余人、投票率76.7%で、稲嶺進氏が1万9839票、末松氏1万5684票を獲得。普天間基地の「辺野古移設阻止」を掲げた稲嶺進市長が末松氏に4000票余りの大差をつけて勝利し、名護市の民意は明らかとなった。

しかし、昨年末に仲井真弘多沖縄県知事が基地建設のための辺野古埋め立て申請を承認。その後の名護市長選挙を受けても、政府の菅義偉官房長官は、「(埋め立ての)権限は沖縄県にあり、知事の承認をいただいているので、地元の理解を得ながら淡々と進めていきたい」と述べるなど、名護市民が示した民意が反映される気配はない

そうした危機的状況にあるなかで、稲嶺進・名護市長はこれからどのように辺野古移設阻止に立ち向かっていくのか。独占インタビューを前後編2回にわたり掲載する。

 

前編は、改めて普天間基地問題とは何かを問う。なぜなら、沖縄県民以外の国民は実は沖縄が抱える基地問題に関して、実は知識も少なく、無関心でさえあるからだ。そこでまず、「沖縄は基地の経済的恩恵を受けてきたはずなのに、なぜこれほどまで反対するのか」という素朴な疑問をぶつけてみた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原英次郎)

 

なぜ普天間基地問題は起きたか
選挙は「辺野古移設」が明確な争点だった

――(沖縄を除く)本土の国民は、なぜ沖縄が基地問題でこれほどまでに緊迫し、もめるのか、歴史的背景も含めた事情に理解も関心も薄い部分があります。そこでまず、今回の基地問題の経過を簡単にお教えいただけますか。

 

 米軍基地問題の歴史は長いのですが、1990年代から説明すれば、90年代半ばに、基地問題がクローズアップされる事件がありました。それが、1995年海兵隊員3名が小学生の女の子を拉致した「沖縄米兵少女暴行事件」です。その後、大規模な県民大会が開かれ、当時県の大田昌秀知事は「守ってあげられなくてごめんなさい」という言葉を残しました。

 この事件をきっかけに普天間飛行場は、いろいろな点で “世界一危険な飛行場” だと言われるようになりますが、96年に当時の首相と駐日大使との間で橋本・モンデール会談が開かれ、普天間基地が5年ないし7年の間に返還される事になりました。これこそ、普天間問題が表にあらわれた始まりです。

 しかし、普天間閉鎖の代わりに基地の県内移設が条件になり、97年に名護市辺野古沖に海上ヘリポートを造るという日米合意がなされたのを受け、名護市民投票が行われ52%が反対と多数を占めました。

 それにもかかわらず当時の比嘉鉄也・名護市長は移設に向けた調査を受け入れたのですが、調査実施に対して市民の反対運動が起き、比嘉市長は「受け入れ」を表明し、同時に自ら辞任する事態となりました。それから選挙では「辺野古移設」が争点となっています。

 1月の市長選は移設問題が争点となった5回目の選挙でしたが、今回はこれまでと異なる点がありました。それは、辺野古移設への賛成・反対が、はっきりした争点として浮かび上がったことです。これまでは、「条件付き容認、知事の判断に委ねる」という形で移設を主張してこないのが相手候補のスタンスだったものの、今回は「積極的推進」という立場を相手は明確にしていた。その意味で、先日の市長選は市民投票的な意味合いを持つ選挙であり、その結果は名護市民の民意といえます。

 

いなみね・すすむ
沖縄県名護市長。昭和46年琉球大学法文学部卒業。名護市役所採用の後、企画部企画調整課長、総務部長、平成14年から名護市収入役、平成16年から同教育長を歴任。平成22年「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」を公約に掲げ名護市長に当選。昨年12月に沖縄県知事が辺野古埋立を承認する中、1月19日に行われた同市長選挙では「すべては子どもたちの未来のために すべては未来の名護市のために」の公約を掲げ、基地推進派との一騎打ちを制し4000票以上の大差をつけて再選。趣味はマラソン。完走は16回を誇る。
Photo by T.U.

 

「基地は恩恵をもたらした」は過去
国、基地への経済的依存は低下

――名護市民の民意は「移設反対」ですが、その一方本土では、沖縄は基地を抱えることによって、経済的な恩恵を受けてきたという見方もあります。

 それについては、やはり誤解を解かなければいけない。沖縄は基地経済で飯を食っている、それが無くなったら本当は困るんじゃないかとこれまでもよく言われてきました。ですが、実はそうではないことを地元新聞である琉球新報の『【連載】国依存の「誤解」を解く』のなかで明治大学池宮城秀正教授も説いています。これによると、都道府県の歳入(収入)は自主財源と国からの依存財源に分けられますが、沖縄県の1人当たりの依存財源は31.5万円の全国18位(2011年度)で、類似県平均の41.2万円を下回っており、何も沖縄が全国で突出した依存構造ではありません(※編集部注:類似県とは財政力指数0.3未満の県で、島根、高知、鳥取、秋田、沖縄、鹿児島、徳島、長崎、岩手の9県)

 今回の市長選前の年末、政府は昨年より400億円多い交付金3400億円を提示し、県知事は「驚くべき立派な内容を提示していただいた」と言いましたが、決して突出した金額ではありません。今回、前年度より400億円増額されたのは、実は那覇空港の第2滑走路を作るための予算と沖縄科学技術大学院大学の予算が含まれているから。本来ならこれは国の別立ての予算になるべきものです。それを一括交付金に上積みをして、今回はたくさん出したという数字のマジックに過ぎません。

 しかも、大田知事時代は4100億円を超えたことがありますから、当時からすると700億円も減額されています。そうした事実も踏まえれば、何も今の沖縄県が国の財政投入という意味で恩恵を受けているわけではありません。

 また県内GDPは、確かに復帰当初はまだ貧しい状況がある中で、基地経済が全体の約15%を占めていました。しかし現在では観光産業がリーディング産業となり、基地関連収入はもう5%まで落ちてきている。この事からも基地がなくなったら生活ができないのではないか、というのは誤った情報です。

 

――国土面積に占める割合が0.6%の沖縄に、日本にある米軍専用施設の約74%が存在し、沖縄本島では面積の18%を米軍基地が占めています。沖縄はこれまでどのような負担、被害をこうむってきたのですか。

 1972年の復帰後だけで米軍機の墜落が45件、2013年度だけでもF15戦闘機の墜落とヘリコプターの墜落の2件が起きています。飛行機事故以外には、米兵らが基地外で起こす交通事故、暴行事件や窃盗事件が起きており、米軍基地が置かれている日本の他地域に比べても発生率、発生件数は比較にならないほど多いんですね。

 しかも米軍関係者が基地の外で起こした事件についても、米軍の日本における地位を定めた日米地位協定によって日本、沖縄の警察権と裁判権が及びません。事件が発生しても現行犯で捕まらず、すぐ基地の中に逃げてしまえば、手が出せないんです。そして結局、起訴もされず罰則も受けず、沖縄の被害を受けた人は泣き寝入りした事例はたくさんあります。こうした事件・事故は本当に沖縄の人間の人権蹂躙と言っても過言ではない。そういう状況に我々は戦後68年間も置かれてきました。

 ですから今回の辺野古への基地移設についても、本来は普天間が“世界一危険”であれば即閉鎖すべきものです。辺野古に移せばこれまでの危険が平行移動するだけ。しかも今回は並行移動だけでなく、基地の機能強化、すなわち弾薬搭載エリア、揚陸艦が接岸できる軍港に近い護岸、V字の滑走路の整備が予定されています。これらを考えますと、機能を強化した新しい基地ができるに等しいんです。

 68年間の負担や苦しみを沖縄の人間に、さらにしわ寄せするのは不条理であるし、これ以上、許されるものではない。ですから、私も名護市民も絶対に移設は受け入れられません。

 

普天間が“世界一危険”であれば即閉鎖すべき」
Photo by T.U.

 

一次産業と観光で「六次産業」化
自立できる経済の循環を目指す

――先ほど、基地がなくても沖縄の経済は成り立つと話されました。では、自立していくために、どのような方策をお考えでしょうか。

 かつて米軍軍用地のあった那覇新都心や沖縄の中部に位置する北谷(ちゃたん)町の商業地は、今や返還前の何十倍、何百倍という経済効果を出しています。

 例えば、ある米軍キャンプで働いている日本人従業員は200名ちょっとに過ぎませんが、その一方、沖縄でホテル業を営む「かりゆしグループ」では関連業全体で2000名が働いています。雇用の吸収力は比べものになりません。

 また、観光がリーディング産業である沖縄にとって、基地が持っている悪いイメージは非常に大きなダメージです。オスプレイが上空を飛び交っていくと、癒しや休息を求めてくる観光客のみなさんが「もう二度とこんなとこ来るものか」と思うかもしれません。実際、2001年アフガン紛争では、米軍基地が狙われるかもしれないということで、沖縄を訪れる観光客が急減しました。そういう意味でも、今回の移設は観光に対する沖縄のダメージになると思っています。

 現在、沖縄の観光客は600万人で、仲井真知事は目標1000万人を掲げていますが、この1000万人の観光客の受け皿は、沖縄本島で言えば北部であり、本島の南に位置する宮古島八重山諸島という沖縄らしい自然が残っている場所になります。だから私は、一次産業と観光を結びつける「六次産業」に力を入れて取り組むことで、新しい産業、仕事が生まれてくると思っています。

 実は名護市は農業生産高が90億円を超えた時期がありました。今は60億円に減っていますが、遊休地活用などによってその30億円を取り戻すだけですごく大きな効果があります。しかもそれらは自ら汗して稼いだお金で、直接的に還元されるものですので、基地負担を受け入れることで得られる米軍再編交付金とは全然違うものです。

 また、名護は前面に海があり、すぐ後ろには山もある。そして街はコンパクトで、ある程度まとまっているため、他の地域にない特徴を持っているまちだと考えています。そこで今、名護市で21世紀型のライフステージを実現できるようにすべく、都市ブランディングを構想中です。今までの開発型のリゾートではなくて、今あるものを生かしながら21世紀型のライフスタイルをアレンジできるまちを作っていきたい。それこそが長続きする経済の循環につながっていくのではないかと思っています。時間はかかると思いますが、自ら立ち上がり、軸足を定めて、行政と市民が共同する形を作り上げていきたい。

 

一部埋め立て予定の辺野古の海と大浦湾。憩いの場である平島・長島を映した「市民が一番残したい名護の風景」だ(名護市提供)

 

 

稲嶺進・名護市長独占インタビュー【後編】「基地問題の本質は、沖縄への構造的差別にある」

ダイヤモンド・オンライン

2014.4.3

辺野古移設阻止」という名護市民の思いとは反対の方向に、基地問題は進み始めている。昨年末、仲井真弘多沖縄県知事が基地建設のための辺野古埋め立て申請を承認し、政府は移設に伴う調査を今夏には開始予定で、しかもそれに対する反対行動を想定し、米軍基地や施設への侵入や情報収集などへの罰則を定めた刑事特別法の適用を調整しているという。なぜ1月の市長選で明らかになった名護市民の民意は無視され、沖縄に基地が置かれ続けなければならないのか。その背景には、「沖縄への構造的差別がある」と稲嶺進・名護市長は主張する。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 原英次郎)

 

名護市民の民意を無視して強行すれば
民主主義を否定することにならないか

――知事が年末に辺野古埋め立て申請を承認し、今後、移設に向けた調査や工事が行われようとしています。そうした危機的状況のなかで、今後、民意を反映させるため名護市長としてはどのような対抗策が考えられますか?

 まず、埋め立て許可権限は県知事が握っています。埋め立ての許可が出ますと、国は次の段階に移ることができ、地質の調査をしたり、埋め立ての事前の作業を行います。その際、名護市の施設を使わなければ作業がうまく進まない部分があります。

 例えば、車の往来のために市道を使う、あるいは海上で作業する場合です。すぐ隣に漁港がありますから、例えば漁港を使って資材を運んだり、作業ヤードを造るには、市長に漁港の管理権がありますので、市長の許可や同意手続きが必要になります。私は、それらの作業が埋め立てを前提として行われるのならば協力はできませんということを今申し上げているわけです。

 ただ、それ以前に民主主義国家として先の市長選で民意(辺野古移設反対)がはっきり示されています。選挙は民主主義の社会では一番大事な表現の方法だと思うんです。そこで出た答えを無視して移設を強行するのは、自ら民主主義を否定することになるのではないでしょうか。

 従ってまずは名護市民の民意を重く受け止めて作業も含めて移設を凍結する、別の方法を考えるなど、民意を汲み取るのが民主主義国家でしょう。それでもなおと言うのであれば、私は市民の財産や安全を守るために市長に与えられた権限を行使せざるを得ません。

 私は、今こうした状況にあるのは政府が思考停止状態にあるからではないかと思うんです。1996年に移設の話が持ち上がって今年で18年目になるのに何も動かなかった。つまり、この17年という歳月こそが、移設自体もともと無理な計画であり、沖縄県民に受け入れられなかったことを示していると言っていい。しかし、政府はいつも二言目には日米同盟、安保条約が大事だと言う。そういう意味でも思考停止状態、ほとんどアメリカの言いなりになっています。それは、とても悲しいですね。

 

日米安保は実は沖縄が
担保になって成立している

――戦前からの沖縄の歴史を簡単に振り返ると、先の大戦では日本で唯一激しい地上戦が展開され、10万人を超す沖縄県民、9万人を超す日本軍兵士がなくなりました。1952年にサンフランシスコ平和条約によって日本が独立を回復した際にも、沖縄は日本から切り離され、米国に占領されたまま取り残されました。米国の占領統治のもと、基地の建設に必要な土地は県民から強制的に収容された。

 72年に日本返還されるわけですが、米国の占領統治の間に、日本が謳歌した高度経済成長からも取り残されました。日本に復帰した後も、本土にある米軍基地は縮小される一方、沖縄にある基地はほとんど縮小されていません。日本の国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に、米軍専用施設の74%が集中しています。

 にもかかわらず、米国の占領統治時代から沖縄に関する情報は少なく、今や戦後70年近くの時が過ぎ、本土の人間の多くには、日米安全保障条約いわゆる日米同盟の存在はもはや当然のことであり、それによって日本の安全が守られているという刷り込みがあります。しかし、よくよく考えてみれば先進国で外国軍の基地が国中、特に沖縄という一地域に集中してあること自体すごく異常ですね。

 そうです、世界中こんな場所はどこにもありません。だから我々は、今の状況は「構造的差別」が作り出したものだと思っているんです。

サンフランシスコ平和条約によって日本は独立を勝ち得ましたが、その時に1つの条件が、奄美大島以南を沖縄も含めて米軍の占領下に置くとういことでした。そうしたなかで、このサンフランシスコ平和条約に関連した識者の書籍などを見ると、実は米国の最終目的は、在日米軍の日本における地位を取り決めた日米地位協定だったという見方もあるんです。

 逆算して見てみるとよくわかります。アメリカの最大の狙いは、アメリカが望むだけの軍隊を望むところへ望む期間だけ確保する、ということです。形としてはサンフランシスコ平和条約があり、次に日米安保条約があり、それに基づいて日米地位協定――当時は行政協定と言ったんですが、実はこの日米地位協定こそが、やっぱり今、日本にある米軍基地を自由に使え、しかも日本の憲法も法律も及ばない状況を作り出している。この地位協定を勝ち取るために日米安保条約が必要で、日米安保条約を結ぶためには、日本を独立させるためのサンフランシスコ条約があったと。実は因果関係が本当は反対だったんだという見方については、今、我々が置かれている状況からすると納得、説得力のある話だと思いますね。

 

――なぜ日本政府とアメリカ政府は、沖縄にこだわるように見えますか?

 いえ、これは日本政府が意図的に行っているものだと思います。もうアメリカは何も沖縄にこだわっているわけではありません。

 さきほど構造的な差別と言いましたが、例えば海兵隊は元々沖縄にいたわけではないんです。1950年代に本土で基地の反対運動が非常に激化してきた時に、このまま放っておくと日米関係にも軋みが出るので、何とかせんといかんという事で、当時岐阜県山梨県にいた海兵隊が全部沖縄県に移されました。

 実は海兵隊が移された当時、沖縄県は米軍の占領下にありました。当時の仕組みは、琉球政府があり、今の県議会に当たるものが立法院、県知事に当たるものが行政主席でした。ただその行政主席も県民の公選ではなく、米軍の琉球軍司令官が勤める高等弁務官が任命をするものでした。また、議会で決議したものでも弁務官の発する紙一枚でひっくり返され、本当の自治は何もありませんでした。ある弁務官は「沖縄に自治があるなんて神話だ」と言ったほどやりたい放題だった。しかし、日本政府もそれをよしとしてきたわけです。東京から見えない遠いところで起こり、ほとんど情報も提供されない、知らされない中で起きたこと。ずっと沖縄に問題を閉じ込めることによって、日米安保は実は沖縄が担保になって成立していたわけで、それが今もなお続いている。

 今度の辺野古移設も日本政府が問題を沖縄に閉じ込めることによって、あるいは沖縄の問題として矮小化をしておくことで、本土に住むみなさんは安心して暮らせる、それで安住の恩恵を受けていることをよしとしたのが、今の状況を作り出していると思います。

 

沖縄に基地が置かれ続けるのは
「抑止力」ではなく「政治的な理由」

――民主党普天間基地の県外移設を掲げて、総選挙に勝ちましたが、結局、政権についた後で断念する結果になりました。それは、どう見ていらっしゃいましたか?

 当時、鳩山首相は学べば学ぶ程に沖縄に基地があることによる抑止力が必要ということが分かり、結局戻らざるを得なかったと言っていますが、実は抑止力なんて本当の理由ではなかった。というのは民主党時代の森本防衛大臣は辞める直前に、「軍事戦略的には何も沖縄でなくてもいい」「政治的に一番適切な場所」と言っているんですね。つまり、「抑止力」と「地政学上の優位」というこの2つの意味合いを否定したわけですから、今や米軍基地は沖縄でなくても良いのです。

 こうして、いわゆる抑止力や地政学的な根拠が破綻をしてしまっているのに、日本政府だけは今なお抑止力の話や、地政学的には尖閣諸島問題や中国の脅威を口実にして「だから沖縄になきゃいけない」と繰り返している。それは、いわゆる思考停止状態がそうさせているのでしょう。

 もう1つ、日本政府が引けないのは、これまでに日米同盟という形で辺野古移設を何度も約束しているからでしょう。つい最近岸田文雄外務大臣は「決意を持って進める」というような話をケリー国務長官としている。要するに何度も何度も「やりますよ、頑張ります」「続けています」とずっと言っている手前、自ら方向変換できなくなっている。引っ込みがつかなくなって、やっているだけではないでしょうか。

 

――市長は選挙で選ばれるわけですから、民意をどう行政に反映するのかが非常に重要になります。ただ、一方で政治的には最終的に妥協が必要な場面もあります。

「政治は妥協の産物」という話もありますけど、妥協はできるものとそうでないものがあります。例えば、この辺野古の問題は、ここで一度妥協してしまうと100年も200年もずっと残り、取り返しがつかないんですよ。ですから、やっぱり妥協できないものはできないと強く申し上げていくしかありません。

 

――2月中旬には、ケネディ駐日大使と面会されましたね。どのようなお話をされましたか。また大使の反応はどうでしたか。

ケネディ大使には、今回の選挙で私が再選されたことについて「選挙結果が市民の民意である。辺野古へ新基地を造ることはやめてほしい」と伝えました。また、絶滅危惧種ジュゴンやサンゴが生息する辺野古海域周辺の豊かな自然環境に加え、新基地の規模についてお伝えいたしました。大使から新基地についての言及はありませんでしたが辺野古の自然環境について非常に関心を持って聞いてもらったと思っています。

 

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