念仏者沖縄連帯行動 第四回 共に座り込もう 🌟 なぜお坊さまたちは新基地建設に声をあげているのか
念仏者沖縄連帯行動 第4回
6月22日(金)、再び浄土真宗の東本願寺と西本願寺のお坊さまたちが辺野古のゲート前に駆けつけてきてくださいます。高江と辺野古と、そして魂魄之塔慰霊行事の三日間のコースです。
なぜお坊さまたちは新基地建設に反対なのか。
ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の聖典でもあるヘブライ聖書には「汝、殺してはならない」という戒律が刻まれていますが、
仏教の最も古い経のひとつ、『法句経』(ダンマパダ) にも、釈迦の言葉として、徹底した非暴力、不殺生 (アサーンヒ) の思想が記録されています。
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。(法句経129偈)
すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛(いと)しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(法句経130偈)
こう書かれているそうです。
自分が誰かを殺すようなことがあってはいけない、それだけではなく、他人に誰かを殺させるようなことを強いてもいけない。それが非暴力と不殺生の哲学。
だから、自分は法要しながら、他人に他人を殺すことを強いる基地建設など、肯定できるわけもないことです。
また、先月の6日間連続500人大集結には、アメリカの退役軍人の方々も辺野古ゲートの座り込みのためにきてくださっていました。
23日午前11時ごろ、「ベテランズフォーピース」の退役軍人らがゲート前の座り込みに合流しました。市民ら皆で「ウィーシャルオーバーカム」を歌っています。#辺野古 #henoko #沖縄 #okinawa pic.twitter.com/CabB6ORuYS
— 琉球新報辺野古・ヘリパッド取材班(沖縄) (@henokonow) 2018年4月23日
沖縄の基地に駐屯し、戦地へと旅立っていった無数の兵士たち、一人一人の苦しみは、また沖縄の苦しみでもあります。
私は時々、米軍の準機関紙 Stars and Stripes を読んだりしますが、そこに時々でてくるのは、戦争の PTSD に苦しむ多くの兵士たちの声また声です。軍は人を殺しますが、殺す側もまた心が殺されていくのです。
5月9日の Stars and Stripes でも記事になりました。
なんで、あんな世界大戦を二度も経験した人類が、愚か者の一部の利権や見得や強欲で、苦しみや悲しみから何も学ばなかった人間ように同じことをくりかえして戦争しなければならないのでしょう。
浄土真宗のたいせつな経典 (浄土三部経) の一つに『仏説無量寿経』というのがあり、そこには、兵戈無用(ひょうがむよう)ということばがあるそうです。
おしゃかさまの歩む道、示す道には、武力も武器も用いる必要が無いという意味の言葉です。
辺野古では、平和を求める退役軍人の人たちも、聖職者の人たちも、ともに座り込んでくださいます。元兵士と、僧侶の人たち、彼らが共に私たちに揺るぎのない道を示してくださっているようにも思えます。
殺してもいけないし、殺されてもいけないし、そして、殺させてもいけない。
国豊民安 兵戈無用
ともに座り込みましょう。
先回の共同行動レポートはこちらから。