玉城デニーさん、「新しい基地を作らないで、基地の跡地利用の方法に進んでいくんだ、ということを沖縄県民は願っているんです ! 」
玉城デニーさん。
特に沖縄の若い世代のひとたちが、デニーさんの出馬を本当に真剣に求めてきました。そして、それがついに現実に !!!
もちろん、その爽やかなで誠実なお人柄で県民に愛されている議員さんですが、県外の人にはなかなかまだ知られていないかもしれません。
そんな玉城デニーさんをご紹介 !
今日は五年前のインタヴューから。
金網を通して見える沖縄の未来
あの、1972年に沖縄の施政権がアメリカから日本に返還される時には、この嘉手納基地もなくなって、みんな故郷に帰れるという気持ちをものすごく持っていたんですよ
ところが現実は1972年の復帰以降40年たっても、返還のめどはたたないんですね。こういう飛行機が飛んでくるときに、あの、昼夜を問わず飛行機の騒音・爆音を撒き散らすので、それが一番大きな、嘉手納周辺に住むみなさんにとっての、問題というか、被害となっています。で、騒音防止協定も結ばれているんですけども、ほとんど守られていないというのが現状ですね。基地を金網で囲ってあるはずなのに、実は金網に囲われているのは県民なのだという・・・。有罪判決を受けて収監される、例えば刑務所などが、こういう風に、内側に有刺鉄線が向いています。つまり脱走できないように、なんです。ところが基地から県民側に向かってこの傾斜を付けられているので、つまり県民からすると私たちはその、フェンスの中に囲まれた囚われ人なのか、ということになってしまいます。できれば、基地のない平和な生活が一日も早く実現できるようにというのは、これは、もう大人も子供も関係なく皆が願っている希望でもあるんですね。では、この基地がなくなったときのことを考えて、ということをこれからしていけるのか、その準備は常に怠らないようにしておくべきだという思いますね。基地の跡地利用というのは、実は、住宅を作るだけではなくて、こういうふうに公園を整備するということも県民にとっては、大切な場所の利用空間になるんですね。ここには、もともと「ハンビー飛行場」という飛行場があって、そこにはヘリコプターの部隊がありました。それが普天間基地に統合されたことによってこのハンビー地区のヘリコプター基地が返還されたんですね。早くから、この海側を公園に、陸側を商業施設と住宅地域ということで計画を立てて整備をしてきました。ですからここは今、県民にとっても大変きれいな素晴らしいビーチとして、夏になると、もう本当にみんなで楽しく利用していただいています。ご覧ください !実は、あのここからつながっている美浜地区よりもハンビー地区の方が先に返還になったので、ここから先に町づくりをしていったんですよ。街をどうやって作っていくか、使っていくかということが、きちんと計画にのってすすめられると、効果的な基地の跡地利用が必ず実現できるんですね。そうすると雇用が生まれ、ここに経済が生まれるいうことになるわけですから。基地があるままよりも、それを返還して活用した方が、何倍も利益になるということですね。復帰40年たって、なおこのうえ、日本と米国とで、真剣に、沖縄の意思を反映させて、検討しなければいけないんですが、
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