辺野古新基地建設を止める新しい提案

みんなで考える辺野古新基地建設のこと。

沖縄の基地問題は「日本の基地問題」だからです。

  

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » シリーズ5・15 基地負担軽減の実態

1950年代半ば、沖縄のおよそ7倍もあった本土の米軍施設。52年の主権回復の後は大幅に縮小していきました。ところが沖縄は面積が増えていき、復帰の頃には本土を上回ったのです。

沖縄大学 新崎盛暉名誉教授「その背景は何かと言うと、沖縄にはいなくて、ヤマトにいた海兵隊が、朝鮮戦争が終わった50年代半ば頃から反基地闘争を避けるため、沖縄にしわ寄せされたと。」

 

シリーズ5・15 基地負担軽減の実態

 

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6月28日

 

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6月25日(日)、沖縄二紙に、ある意見広告が掲載されました。基地問題を根本的に解決するための新しく画期的な提言です。そこに込められた想いについて少し書いてみます。
 
こちらがその意見広告「辺野古新基地建設を止める新しい提案」。広告主は、代表が関西沖縄文庫の金城馨さんとなっていますが、既存の政党や宗教などに依らない県内外の多種多様なウチナンチュ老若男女etcが集まり、今年できたばかりのグループです。一般市民が苦しい"自腹"を切って出しました。
 
5分もあれば読めるので、どうかまずはご一読を。びっくりするような斬新な・・・それでいて民主主義、立憲主義を肯定するならば至極当然のことが書かれています。新基地が必要なのかどうか、まずは当然、国ぐるみの議論を行うべきだと提案しています(現在はそれを避けた上で沖縄に強行している)。
 
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国ぐるみの民主的な議論の上で、仮に「安保破棄」や「全基地撤去」を決めたとしましょう。もしそうならば、日本に住む皆がその責任を負うべきです。その逆に、安保や新基地の必要性を皆が認めたならば、それも皆で負うべきです。現状は日本/人は民主主義的過程を抜きに沖縄に負担を押し付けています。
 
現政権=日本政府がそのような非民主主義、反民主主義で憲法をないがしろにしているのは明らかですが、リベラル・左派にも問題があります。「基地はどこにもいらない」「安保自体が問題」などイデオロギーに基づいた原理的主張に固執し、立憲主義・民主主義的解決の道筋を示してこなかったと言えます。
 
歴史的かつ構造的に、つまりは差別的に沖縄に基地が偏重してきたファクトに向き合い、それを民主主義において解決しようとするならば、日本/人は、根本的にそれを議論する憲法と法に基づいたプロセスを立ち上げ、正々堂々と取り組むべきです。それをしないことがいま日本の民主主義を損なっています。
 
この提案「辺野古新基地建設を止める新しい提案」は、首相や防衛相経験者らが漏らしてきた新基地の「政治的」問題の全面的解決に資するものであり、また、ND(新外交イニシアティブ)や橋本晃和・マイク・モチヅキらがこれまで提示してきたオルタナティブな提案と合致あるいは包摂するものです。
 
さらに、この提案は、全国の基地「引き取り」運動、そしてそれを批判する「安保破棄」派(共産党を含む)をも包摂するポテンシャルがあると言えます。なぜなら、この提案はどこに「引き取る」べきかを民主的に決めるべきというものであり、また「安保破棄」とも皆が向き合うべきという内容だからです。
 
この提案「辺野古新基地建設を止める新しい提案」について、より深く詳しく知りたければ、以下のネット署名のページにアクセスして下さい。理論的に依拠している論文や、現在動いているアクションなどを知ることができます。
 
辺野古新基地建設を止める新しい提案」を掲げるグループは、あす6月29日(木)13時より、沖縄県記者クラブにて記者会見を行います。関心を持ってくれた方々はぜひ注目してほしいです。沖縄から、ウチナンチュから、問題の根本的解決を提言することの意味を考え、行動の材料にしてほしいです。
 
  

止めよう!辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に!国会包囲と辺野古ゲート前で声をあげる

6月10日の

止めよう!辺野古埋立て 共謀罪法案は廃案に!国会大包囲と辺野古の連動集会。

今日の沖縄タイムス、見開きで特集です !
 

【写真特集:国会包囲】基地建設強行や「共謀罪」に懸念 登壇者が訴えたこと | 沖縄タイムス+プラス プレミアム | 沖縄タイムス+プラス【写真特集・沖縄タイムス:国会包囲】

基地建設強行や「共謀罪」に懸念 登壇者が訴えたこと

 

 【東京】国会周辺と名護市辺野古キャンプ・シュワブゲート前であった10日の大規模集会。登壇者は「辺野古新基地建設の問題と『共謀罪』の問題は一体だ」などと、「共謀罪」法案による辺野古での反対運動への影響に対し次々に懸念を示した。新基地建設や「共謀罪」法案を強硬に推し進める安倍政権にノーを突きつけた。

 

◆失う自由 回復困難

 山口薫氏(アムネスティ・インターナショナル日本キャンペーン部門ディレクター)

 不当に拘束された人の釈放を求め、表現の自由を守る運動をしている。沖縄平和運動センター山城博治議長が逮捕され不当な拘束を受けたときに、釈放に向け動いた。山城議長がスイス・ジュネーブで開かれる国連人権理事会で演説するときも協力したい。

 

 アムネスティのトルコ支部長が、携帯電話のアプリにテロ組織の名前が入ってたとして逮捕された。日本でも、人権活動に関わって逮捕される可能性がある。携帯でテロ組織を検索することは誰にでもできる。「共謀罪」法案は全ての人に関わる問題。人権団体として強く反対する。一度奪われた自由を回復するのが一番難しい。力を合わせて声を上げ、諦めずにがんばっていこう。

 

◆古里の土 使わせぬ

 湯浅一郎氏 辺野古土砂搬出反対全国連絡協顧問

 西日本から土砂とケーソンの搬出を止めることができれば、辺野古は埋め立てられない。搬出反対署名9万4千筆を政府に届けた。生物多様性の豊かな大浦湾を埋めるのは、国家戦略や地域戦略に反する。特定外来生物沖縄本島の生態系を破壊する恐れがある。

 

 搬出地でも採石に伴い自然が破壊されている。奄美大島では海に土砂が流入し、岩盤に泥がへばりつき、生物がみられなくなった。政府の矛盾を浮き彫りにしないといけない。

 

 辺野古の海は埋め立てるのではなく、ジュゴンやサンゴのための海洋保護区にすべきだ。一粒たりとも古里の土砂を戦争に使わせない。なんとしても西日本からの土砂搬出を阻止するために力を尽くしたい。

 

◆批判する自由奪われる

 稲嶺進氏 名護市

 キャンプ・シュワブのゲート前では、千日以上、座り込みが続いている。市民は非暴力で抗議を続けているのに、権力という暴力で排除され、救急車で運ばれる人が出ている。「共謀罪」の先取りも起きている。

 

 「共謀罪」が成立すると、全国民が監視され、反対の意思さえ示せない真っ暗な社会になる。批判する自由を含んだ表現の自由もつぶされる。異論を全く聞こうとしない安倍政権だが、米国には従順。「共謀罪」は廃案にし、辺野古の埋め立てはすぐにやめろ。沖縄は小さな島でマイノリティーだけど、負けない。

 

◆大同団結 未来つくろう

 安次富浩氏(ヘリ基地反対協共同代表)

 辺野古ではいまK9護岸の工事が進められている。政府ができるのはそこだけだ。なぜなら名護市長や沖縄県知事の許可を得て手続きをしないと計画は進まない。政府の思うようにはいかない。

 

 言葉でごまかすのが安倍政権。名護市安部にオスプレイが落ちても安倍政権は不時着や大破と言う。全国で辺野古新基地建設反対、「共謀罪」廃案、戦争法や原発をやめさせるなど大同団結して安倍政権を倒そう。沖縄の未来は永田町や霞が関に委ねるつもりはない。日本の未来は国民がつくる闘いを一緒にしよう。

 

◆「沖縄の闘いに連帯を」関係国会議員呼び掛け

 10日の国会周辺や辺野古での集会には、沖縄関係の国会議員も参加した。

 

 首相官邸前で玉城デニー衆院議員(自由)は「多くの国民が新たな基地は認められない、米軍が居座り続けることに抵抗していると示せば、米国に日米安保が揺らぐと危機感を持たせることができる」と訴えた。照屋寛徳衆院議員(社民)は「辺野古は間違いなく戦争する巨大な基地になる。沖縄に同情はいらない。ウチナーの闘いに、全国や国際社会で連帯をしてほしい」と呼び掛けた。

 

 国会正門前では、糸数慶子参院議員(沖縄の風が「安倍政権は(辺野古の判決後)なにかにつけ法治国家や民主主義と言う。県民や国民の声が届かない政治は何か。共謀罪廃案に追い込む」と宣言した。

 

 キャンプ・シュワブゲート前では伊波洋一参院議員(沖縄の風共謀罪に関し「国に歯向かう市民を弾圧するのが狙いで、基地に反対する市民は捕まえろと言わんばかりの法律だ」と問題視。「沖縄で声を上げる意味は大きい」として廃案に向け闘う姿勢を示した。

 
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「共謀罪」辺野古に直結と危機感 国会包囲 「負けない方法は…勝つまで諦めないこと」 | 沖縄タイムス+プラス プレミアム | 沖縄タイムス+プラス

【東京】真夏のような陽光の下、「人間の鎖」が国会議事堂をぐるりと囲んだ。国会周辺には10日、辺野古新基地建設と「共謀罪」法案に反対する1万8千人(主催者発表)が結集。「沖縄は負けない」「決して諦めない」。登壇者の訴えと、それに呼応する参加者の掛け声が東京の空に響いた。名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前でも同日、集会があり、市民ら1800人(主催者発表)が国会包囲行動と連帯した。連帯集会は全国各地で行われた。

 

 集会が始まる直前の午後1時45分、都心で気温30・6度を観測。参加者らは噴き出す汗をぬぐいながら、「辺野古埋め立てNO 土地と海を奪うな」と書かれたボードを頭上に掲げた。

 

 国会を囲むように4カ所のステージが設けられ、登壇者は順番に演説。門が閉ざされ議事堂の周りは警視庁機動隊の車両がずらりと並んだ。

 

 稲嶺進名護市は、「負けない方法は勝つまでずっと諦めない」と書かれたピンク色のTシャツを着て登場。「戦後72年、沖縄は虐げられた中で生活し、闘う方法を知っている。諦めないことが群衆の力だ」と話すと拍手が湧いた。

 

 公務員の島袋史弘さん(43)=東京都=は、母・峯子さん(73)、長男颯太さん(13)と参加した。自身は東京で生まれ育ったが、峯子さんが読谷村出身。「共謀罪が成立すると、辺野古などの反対運動に参加する気持ちもそがれるのではないか」と危機感を募らせる。颯太さんも「民主主義じゃなくなってしまう」と不安そうに話した。

 

 首相官邸前では、「月桃の花」歌舞団のメンバーがエイサーを踊った。鈴木誠さん(54)=同=は「沖縄で起きている事実を多くの人に伝えることからやっていきたい」。イラストレーターの広浜綾子さん(46)=横浜市=は、労働組合の研修で、名護市辺野古や東村高江周辺を訪れたことがある。「辺野古のようなきれいな海に基地を造るなんて考えられない。(東京MXテレビの)『ニュース女子』のようなでたらめが広がるのはおかしい」と憤った。

 

特措法で基地使用 58ヘクタール - 地主望まぬ提供続く - 反戦地主とは

銃剣とブルトーザーで強制接収された土地。

沖縄では、復帰から45年たった今でも所有者の意に反する形で土地を米軍基地として利用される実態が続いている。

 

沖縄タイムス

2017年6月5日

特措法で米軍基地使用、沖縄では58ヘクタール 所有者の大半は「一坪反戦地主」

 沖縄県内の米軍基地で所有者が契約に応じないため、日本政府が駐留軍用地特措法を適用して使用権原を得たり、暫定使用したりする土地が2017年1月1日現在、58・8ヘクタールに上ることが分かった。国有地を除いた在沖米軍基地面積の約0・4%にあたる。復帰から45年たっても、所有者の意に反する形で土地を米軍基地として利用される実態が続いている。(政経部・福元大輔)

 内訳は、同特措法に基づく使用権原で借りている土地が15施設、28・9ヘクタール、手続き対象の土地が9施設、28・3ヘクタール、暫定使用している土地が3施設、1・6ヘクタール。防衛省の資料によると、特措法を適用している土地の所有者は3977人。うち米軍基地に反対するため、一坪ずつ軍用地を所有するいわゆる「一坪反戦地主」は3758人で、94・5%に及ぶという。

 日米安保条約で、米軍施設、区域の用地を提供する義務は日本政府にあり、本来なら土地所有者と合意し、賃貸契約を結ぶ必要がある。一方、合意が得られない場合、政府は特措法に基づく手続きを進め、使用権原を取得する。

 

県外では基地はほとんどが国有地である。

 県外では、法施行後の1952年から61年までの9年間で、49件に適用したが、国有地がほとんどで、民有地が少ないほか、残りの土地所有者との合意を取り付けることで、それ以降の特措法適用の実績はない。

 

沖縄の軍用地の歴史。

 沖縄では、72年の本土復帰からの10年間、政府は公用地暫定使用法で使用権原を取得。82年5月15日以降、駐留軍用地特措法が適用されるようになり、延べ100件以上に上る。現在では沖縄のみに適用されている。

 95年に、当時の大田昌秀知事が土地の強制使用手続きの一つ代理署名を拒否。一部の軍用地で契約が切れ、政府が「不法占拠」する状態が生じた。

 そのため、政府は97年に法を改正地主が契約を拒否した場合でも収用委員会の審理中なら補償を支払うことで「暫定使用」でき、収用委員会が却下裁決しても、条件が整えば防衛相権限で使用を可能とするなど、「永久使用」できる形になっている。

 

さて、沖縄の土地と尊厳をとりもどす運動は、戦後、様々な形をとって展開されてきた。その中の一つが、一坪反戦地主の運動です。

 

とてもわかりやすい必読のブログをご紹介します。

3month 

反戦地主の群像

『沖縄を深く知る事典』(2003年2月25日 日外アソシエーツ株式会社発行)掲載

反戦地主とは

 沖縄本島の約20%を軍事基地が占めている。本土では基地のほとんどが国有地であるのに対し、沖縄の場合、3分の1が国有地、3分の1が市町村有地、残りの3分の1が私有地だ。軍用地主は約3万人。その中で、基地への土地提供を拒み契約を拒否する軍用地主がいる。いわゆる反戦地主と呼ばれる人々だ。

土地収用の始まりは旧日本軍

 1943年、日本軍は南方への中継地とするため沖縄に15の飛行場建設計画を立て、土地の収用を開始した。地代は強制的に郵便貯金をさせたり、国債を購入させたりした。なかには土地代が支払われたかどうかあいまいなまま、戦後は米軍基地となり国有地として扱われている土地もある。

 1945年4月1日、米軍は沖縄本島上陸と同時に本土攻略のための基地建設を開始した。丘を削り、田や畑を潰し、境界線もわからなくなるほど敷き均していった。戦禍の中かろうじて命拾いをした住民は、米軍によって次々と難民収容所へ保護された。住民は米軍の監視の下に置かれ、自由に出歩くことも許されず、収容所から収容所へと転々と移動させられた。

 1945年10月30日、収容所の解放が開始されたが、故郷は米軍の金網に囲まれ、帰る場所を失った住民がいた。

 生活が落ち着きかけたころ、新たな土地接収が開始された。東西の冷戦構造が明確になり、1949年中国で革命が起き、1950年には朝鮮戦争が勃発した。共産主義を制圧するため、米軍は沖縄の基地を拡大強化していった。

 1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効、沖縄は分離され米軍の統治に置かれることになる。

 米軍は住民に返した土地の再接収を開始した。1953年4月那覇市の銘苅地区、同年9月読谷村渡具知地区、同年12月那覇市具志地区、1955年3・7月宜野湾市伊佐浜地区、同年3月伊江島真謝・西崎地区、と接収の中止を懇願する住民に銃を突きつけ、威嚇し、立ち退かせ、作物や家をブルドーザーでなぎ倒し土地接収を強行していった。

法による強制土地使用

 1969年、佐藤ニクソン会談に於いて沖縄の復帰が決まった。「核抜き本土並返還」という住民の願いからはほど遠く、「安保条約」を根拠に基地はほとんど残り、核の存在もあいまいにされた。

 「安保条約」の関係上、日本政府は米軍に土地を提供しなければならなかった。契約に応じる地主とは民法に則って20年の賃貸借契約が交わされた。2万7000人の地主のうち約3000人が契約を拒否した。

 日本政府は反戦地主の土地を強制使用するため「公用地法」を適用した。政府は復帰前から基地として使用している土地を公用地とみなし、復帰後も5年間継続使用できるようにした。

 5年間の法的根拠が切れる1977年、戦争で不明確になった土地の境界線を明確にしてほしい、との反戦地主の要求を政府は逆手にとり、「地籍明確法」を制定、その付則で「公用地法」をさらに5年間延長し、使用を継続した。この時、法の制定が期限切れに間に合わず、法的根拠がないまま「空白の4日間」が発生した。

 それから5年後の1982年、日本政府は1951年に制定され休眠状態にある「米軍用地特措法」を反戦地主に適用し、さらに5年間の強制使用を継続した。この時点で自衛隊基地にある反戦地主の土地は返還された。返還された土地は金網に囲まれ、現実的には自由使用できない状態にある。

 その後も日本政府は、反戦地主の土地の強制使用を続けている。

変貌する軍用地料

 敗戦から講和条約発効まで軍用地料は支払われなかった。講和条約発効後、米軍は契約地主には契約金を払い、契約拒否地主には損失補償金を払っていった。しかし、年間の地代は「コーラ1本分」と表現されるほど安かった。米軍の人権を無視したしうちに民衆運動が高まり、1956年の"島ぐるみ闘争"へと発展していった。米軍は基地の安定使用を図って1958年に地代を倍近くに上げていったため、殆どの軍用地主が契約に応じた。しかし、一方で契約拒否を貫く軍用地主がいた。

 復帰が決まると、日本政府は円滑に契約をすすめるため、地代を4倍に引き上げ、契約する地主にはさらに契約協力金を支払った。地代の総額約126億円、契約協力金等を含めると約6倍に引き上げられた。2001年、地代は850億円にまで膨れ上がった(『沖縄タイムス』2002.7.3)。

一坪反戦地主運動

 1971年12月、契約を拒否する3,000人が中心となって、「権利と財産を守る軍用地主会」(反戦地主会)が結成された。それに対して日本政府はありとあらゆる手段で切り崩しを図っていった。反戦地主は5年後には約500人、10年後には200人になった。

 2000年の時点で軍用地主は土地連加盟約3万人、那覇防衛施設局との直接契約約2,000人、一坪反戦地主を除く反戦地主が約100人である。

 1982年、日本政府の圧力に耐え抜いてきた反戦地主を支えるため、一坪反戦地主運動が始まった。反戦地主の土地の一部を譲り受け、一人1万円を出して登記した。米軍用地特措法が開始された同年12月833名の一坪反戦地主が結集し設立総会が開催された。

契約拒否を貫く反戦地主たち

 故阿波根昌鴻(1903年~2002年)さんは沖縄戦当時伊江島に住んでいた。島には東洋一といわれる旧日本軍の飛行場が建設された。島は戦場となり、多くの住民が戦闘に巻き込まれ犠牲になった。阿波根さん夫婦は命拾いをしたが、最愛の息子を失った。その後、米軍によって慶良間諸島へ移住させられ、2年後、島に帰ってきた。ところが1955年、米軍の焼き討ちにあい土地を奪われる。他の住民と共に、幾度も琉球政府に陳情し、「乞食行進」をして全島を回り訴えた。1970年には学び合う場として団結道場を建設した。戦争と平和に関する歴史を次代に伝え、二度と戦争を起こさせないため、1984年に「ヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館」を設立した。その後、資料館を訪れる人々に反戦平和を説きつづけた。阿波根さんはあらゆる機会に克明な記録をとり、資料を収集した。その一部が反戦資料館に展示されている。2002年3月21日永眠。阿波根さんの土地は今も金網の中にある。

 

 上原太郎(1912~)さんは那覇市具志で生まれた。1946年11月名古屋から引揚げてきた。すでに具志地区は米軍の金網に囲まれていた。しばらくして、具志区民は米軍の許可を得ないまま自分の屋敷に移り住み、ふたたび畑を耕し始めた。何事もなく7,8年が経過した。1953年11月17日、米軍は無線標識を作るから農作物を取り除くようにと通告してきた。区民は強制接収を止めるよう陳情を繰り返した。しかし、米軍はこの陳情を聞き入れなかった。12月5日完全武装した米軍がやってきた。区民は子供から年寄りまで座り込みをして抵抗したが米軍は強行した。現在、この土地は自衛隊那覇分屯地のなかにあり、1982年上原さんの土地は返還されたが金網に囲まれ、通行証がなければ入れない状態にある。それでも、戦争のために土地は貸さないと契約を拒否し続けている。

 

 島袋善祐(1936~)さんは沖縄戦の時9歳だった。キャンプ・シールズ内に土地をもっている。1977年の法的「空白の4日間」の時には家族と共に先祖伝来の土地にトラクターを入れ耕し、魔よけのニンニクを植え、アヒルを放した。つねにユニークな発想で反基地運動を展開し、反戦平和を希求する多くの人々に勇気を与えてきた。バラ園を営んできたが現在は息子に譲り、平和活動に力を注いでいる。

 

 有銘政夫(1931年~)さんはサイパンで生まれた。父親サイパンの戦闘で失った。1946年、家族7人は沖縄に引揚げてきた。父親が弟に頼んで買い求めてもらった土地は、すでに嘉手納基地の金網で囲まれていた。高校卒業後、教員をしながら土地闘争、B52撤去運動、毒ガス撤去運動、復帰運動、と平和に繋がるあらゆる運動にかかわってきた。現在は「沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議」の議長を務めている。

 

 池原秀明(1943~)さんは沖縄市知花に住んでいる。昼間は県庁に勤務し、夜は米軍の眼をかいくぐり、ヘッドライトを着け、妻と共に黙認耕作地の中にブロックを積み上げ豚舎を建てた。1982年に「米軍用地特措法」摘用外となり土地は返還された。現在は養牛へ転換。牛舎は嘉手納空軍基地離発着コースの直下にあり、米軍機が頻繁に飛び交う。94年4月には、墜落したF15の車輪が牛舎から十数メートルのところに落下した。現在は養牛の傍ら沖縄市の議員も勤める。

 

 真栄城玄徳(1942年~)さんは旧越来村(現沖縄市)で生まれた。沖縄戦のとき本島北部へ疎開、父を沖縄戦で失った。収容所から帰ってくると故郷は嘉手納基地に変わっていた。母親は女手一つで子供たちを育てた。復帰後、一貫して契約を拒否し続けた。その損失補償金で妻の栄子(1941年~)さんとともに、子供たちのための「くすぬち平和文化会館」を建設した。くすぬちとはクスノキのこと。生前祖母が慕っていた庭のクスノキを名前につけた。

反基地闘争を支えてきた反戦地主

 契約拒否地主は反戦地主会に入っている人もいれば入っていない人もいる。それぞれの立場で基地に土地を提供することを拒否してきた。

 1995年、契約拒否地主の代理署名を大田昌秀知事が拒否した。拒否できたのは反戦地主の闘いがあったからである。国の委任事務を拒否したとして知事は総理大臣に訴えられた。それに対し、沖縄県側は23人の反戦地主の証人申請をしたが却下された。結果は敗訴。

 1999年「米軍用地特措法」の改定により、総理大臣が代理署名することで強制使用できることになった。  国民の権利よりも、国益が優先にされるという憲法と矛盾する法律が成立したのである。

【参考文献】
◇『沖縄・反戦地主』/新崎盛暉著/高文研発行/1995年発行/沖縄基地問題の教科書 ◇『反戦地主の源流を訪ねて』/本永良夫編著/あけぼの出版発行/1997年発行/反戦地主の生き様を紹介

 

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ETV特集 「沖縄を叫ぶ ~彫刻家・金城実~」

沖縄の抵抗のレジェンド、彫刻家、金城実さんのドキュメンタリーが放送されます !

 

もちろん、辺野古ゲート前にも取材が来ていました !

 

皆さん必見です !

 

ETV特集

「沖縄を叫ぶ ~彫刻家・金城実~」

 

 

放送 2017年6月3日(土) 午後11時00分(60分)

再放送 2017年6月8日(木) 午前0時00分(60分)

 

ETV特集「沖縄を叫ぶ~彫刻家・金城実~」

 

沖縄や戦争、人間の尊厳をテーマに創作を続けてきた彫刻家・金城実(78歳)。「芸術は解放の武器たりうるか」と自らに問いかけ、差別や貧困の現場に身をおいてきた。70年代には作品をアトリエから持ち出してキャラバンを行い、闘う芸術家として知られるようになる。圧倒的な存在感で迫る彫刻作品。沖縄から東京、大阪、そしてふたたび沖縄へ。人びととの出会いの中で育まれた思想。その型破りな日々と人生を見つめる。

 

 

dai.ly

国連人権委報告者「沖縄の抗議活動が不適切に制限されている」

国連の人権理事会の特別報告者が、日本での表現の自由についての報告書をまとめ、法律を改正してメディアの独立性を強化すべきだなどと勧告したほか、沖縄での抗議活動が不適切に制限されているなどと指摘し、「抗議活動などを萎縮させかねない」と懸念を表明しています。

 

国連人権委報告者 に対する画像結果

 

沖縄 NEWS WEB

国連人権委報告者が沖縄に言及|NHK 沖縄県のニュース

国連人権委報告者が沖縄に言及

国連の人権理事会の特別報告者が、日本での表現の自由についての報告書をまとめ、法律を改正してメディアの独立性を強化すべきだなどと勧告したほか、沖縄での抗議活動が不適切に制限されているなどと指摘し、「抗議活動などを萎縮させかねない」と懸念を表明しています。

 

一方、日本政府は、事実の誤認があるなどとして報告書の内容を見直すよう求めています。

国連の人権理事会は、外部の専門家を特別報告者に任命していて、表現の自由を担当するカリフォルニア大学教授のデービッド・ケイ氏が30日、日本の表現の自由についての調査結果をまとめた報告書を公表しました。

 

このなかでケイ氏は、「日本では、メディアに対し、政府当局者からの直接的、間接的な圧力がある」などとしたうえで、日本の民主主義をさらに強化するためだとして、6つの分野で勧告をしています。

 

この中では、「メディアの独立性を強化するため、政府が干渉できないよう法律を改正すべきだ」として放送法を一部見直すことや、特定秘密保護法について公共の利益にかなう情報を広めた人が処罰されないよう新たな規定を盛り込むことなどを求めています。

 

また、報告書のなかでは、沖縄での抗議活動についても触れ、不適切に制限されていると指摘しています。

 

このうち沖縄平和運動センターの議長が公務執行妨害などの罪で逮捕・起訴され、ことし3月まで5か月間余りにわたり勾留されたのは起訴された罪からして、不釣り合いに思われると指摘し、「政府の行動は表現すること、特に抗議活動などを萎縮させかねない」と懸念を表明しています。

 

これに対し、日本政府は「事実の誤認や不確かな情報に基づいて勧告している」などとして、報告書の内容を見直すよう求める文書を人権理事会に提出しました。

 

この報告書については、来月12日にスイスのジュネーブで開かれる人権理事会の会合で議論されます。

いよいよだ、みんなで踏んばろう ! - 早くても7月には工事の差し止め訴訟に !

さあ、いよいよだ。

沖縄県が工事の差し止め訴訟へ !?

 

沖縄県、7月にも国を提訴へ 辺野古新基地建設で工事差し止め | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス

 名護市辺野古の新基地建設を巡り、県は工事の差し止め訴訟を提起するための議案を県議会6月定例会へ提出し、早ければ7月にも提訴に踏み切る方針を固めた。翁長雄志知事は30日午前、「沖縄防衛局からの対応を待ち記者会見をしたい」と述べ、近く提訴を発表する意向を示した。那覇市内で記者団に語った。

 

これまでの経過を確認してみよう。

 

漁業権を巡る県と国のやりとり

 

そしてこれから・・・

6月 

県議会6月定例会で工事の差し止め訴訟を提起するための議案を提出、議会承認を得たうえで、

 

7月

工事差し止め訴訟へ、

判決が出るまでの工事の中断を求める仮処分も。

 

 県は29日、岩礁破砕許可を申請するよう改めて防衛局を行政指導し、6月1日までの回答を求めた。一方、防衛局は応じない見通しで、県は無許可での岩礁破砕行為が行われているとして工事の差し止めを求め訴訟を起こす。判決が出るまでの工事の中断を求める仮処分も申し立てる方針だ。

 

ぜったいにこれだけは譲れない。

 

ありとあらゆる分断や圧力や弾圧が予測されるが、

 

ひとりひとりできうる可能性を模索し

腰をすえ、両の足でふんばろう !

 

ここで分断され挫けてしまえば、先祖にだけではない、子々孫々にまで顔向けできないことになる。

 

画像に含まれている可能性があるもの:雲、空、海、屋外、自然、水

 

米軍キャンプ・シュワブの海岸で重機を使い進められている護岸工事の現場=24日午前7時43分、名護市辺野古(小型無人機から)

 

 

この海に、ぜったいに基地は作らせない !

 

 

辺野古新基地:沖縄県、防衛局に再び行政指導 岩礁破砕の申請求める | 沖縄タイムス+プラス プレミアム | 沖縄タイムス+プラス

辺野古新基地:沖縄県、防衛局に再び行政指導 岩礁破砕の申請求める

2017年5月30日 08:29

 名護市辺野古の新基地建設を巡り、翁長雄志知事は29日、沖縄防衛局に対し、県漁業調整規則に基づき米軍キャンプ・シュワブ沖での工事のための岩礁破砕許可を申請するよう行政指導した。

 3月31日に岩礁破砕許可の期限が切れて以降、県が防衛局に許可申請を求め指導するのは2度目。防衛局は従わない意向で、県は工事の差し止め訴訟を提起する時期を慎重に検討する。

 29日午後、県水産課が通知文書を送付した。6月1日までの回答を求めている。指導には法的拘束力はなく、政府は工事海域の岩礁破砕許可は不要としていることから防衛局は許可を申請しないとみられる。同日、県庁で会見した多良間一弘辺野古新基地建設問題対策課長は、防衛局の対応次第で「知事が言及した差し止め訴訟等の対応につながると思う」と述べた。

 岩礁破砕許可を巡っては、水産庁がことし3月に防衛省の見解に沿った通知文書を各都道府県に送っている。県は2度にわたり漁業権の一部放棄の解釈について照会しているが、25日付の回答文書で水産庁は「一部放棄は変更には該当しない」とし、名護漁協による漁業権の「放棄」には、知事の免許は不要との見解を引き続き示した。

 水産庁長官の通知に関し、島尻勝広農林水産部長は「これまでの政府見解との整合性や水産行政の運用の面から、合理性が見いだせない」と批判。農水部の新里勝也参事は、水産庁が一部放棄は変更に該当しないことを示すために、今回の回答から漁業協同組合合併促進法を提示してきたことに「漁業法を解釈するにはなんら関係のない法律だ」とした。

 

辺野古護岸工事開始から一ヵ月、 承認条件さえ無視した違法工事が急ピッチで進められている、その四つの疑惑 !

護岸工事が始まって一ヵ月。

反対する県民を弾圧しながら、承認時の条件すらまともに守っていない違法な工事をすすめている安倍政権。その工事の現状を、琉球朝日放送が検証しました。

 

疑惑 ① 濁りが尋常ではない !   採石場で十分に洗浄されていないままの砕石が投入されているのではないか !

 

琉球朝日放送 報道制作部 ニュースQプラス » Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

辺野古の新基地建設に向けた護岸工事が始まってきょうで1カ月。ご覧の映像は今朝の辺野古の様子です。事実上の埋め立て着手とされる護岸工事はきょうも淡々と進められ、海に深刻なダメージを与えかねない、荒っぽい作業も確認されました。工事に問題点はないのか、考えます。

久田記者「ちょうど1カ月、石を詰めた袋が5つだけ並べられていた浜は姿を変えています。護岸の基礎とみられる石材は、波打ち際からおよそ20m~30mほど、海へと伸びています」

 

Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

先月25日、石材を詰めた5つの袋を波打ち際に並べる儀式的な作業で始まった辺野古の護岸工事。

 

Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

4月25日・菅官房長官会見「埋め立て本体工事の開始は、多くの人々が望んできた普天間飛行場の全面返還を実現する確かな一歩だという風に思っております」

わずか1カ月で、現場では護岸が形を見せ始めていますが、作業を急ぐあまりなのか、荒っぽい作業もみられています。

久田記者「石材を詰めた袋を一度水面に浸し、そのあと反対側へと移す作業が先ほどから繰り返されています」

上空からは、事前に十分に洗い終わっているはずの石材から、濁りが発生している様子がはっきりと確認できます。

 

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これについて元土木技師で、新基地建設に反対する北上田毅さんは…。

北上田さん「海に投下する石材はアセスの評価書や埋め立て承認願書でも十分に洗浄をするとなっている。ダンプに石材を積んだまま、上からシャワーで水をかけて洗うんですけど、十分、採石場を出るときの洗浄がされていない、そういう疑いが強くある」

 

 

疑惑 ② 国は K-9 護岸工事周辺のサンゴの被度をごまかしている ! 早急に県にサンゴの調査をさせよ !

 

工事の不合理な点は他にもあります。

久田記者「2008年の時点では、この護岸の周辺は5%から25%程度がサンゴで覆われていたという調査結果があります。しかしこの分布域全体のサンゴが、移植の対象から外れてしまったというのです」

被度とは、サンゴが海底面を覆っている割合のこと。埋め立て区域内や周辺の小型サンゴは、総被度が5%以上の規模で分布していれば移植の対象となります。

ところが、国が2013年に改めて行った調査では、現在工事が進む護岸近くのサンゴの被度は5%未満とされ、移植が〝不要になった〟というのです。

Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

県側もこの調査結果を〝不自然〟だと疑問を示していますが、この海域のサンゴを確認できるのは現在のところ国側だけです。

本当にサンゴの群体は急速にいなくなったのでしょうか。その検証すらできない中、護岸工事は進んでいます。

 

 

疑惑 ③ 砕石の仮置き場で水をかけただけの砕石をそのまま海中に投入しているのではないか?  処理プラントの水槽で洗浄するという工程はやっているのか?

 

ここからは取材した久田記者に聞きます。海で、石をザブンと洗う光景がありましたね。

久田記者「率直に驚きました。実はこうやって石材を積み上げる前に、キャンプシュワブ内での石材の仮置き場ではこんな光景がありました」

 

Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

 

久田記者「作業員が石材に向かって放水し、石材を洗浄しているとみられます。このあと護岸へと運ぶ車に積んでいたのですが、これだけで済ませているとすれば、事前に示されている作業工程とは異なるものなんです。

本来は、採石場から出荷する時点で洗浄し、仮置き場から出す際には処理プラントの水槽の中で洗浄するという2度の洗浄工程があります。元土木技師の北上田さんは『海水につけただけで白濁するということは、採石場から出荷される最初の時点での洗浄も不十分ではないか』と指摘しています」

1つひとつは小規模な濁りでも、今後工事が進むとすれば、埋め立てない範囲へも濁りが拡大して生物へ深刻な影響が出てしまいますから、こうした徹底した対策が必要ですよね。

久田記者「はい、ここで参考になるのは那覇空港の第2滑走路事業で取られた対策です。この時は外来生物対策の条例へ対応が必要だった事情もあって、国は環境対策を公表しました。『洗浄後の水が洗浄水、つまり元の水と同じ濁り具合になるまで洗浄する』とあります。つまり、濁りを完全に落としきることを明示しているんです。120秒以上かけるとか、600リットルから800リットルの水を使う、と具体的に示してもいます」

 

Qプラスリポート 辺野古護岸工事 着工から1ヵ月

そもそも埋め立ての是非をめぐって県民の多くは納得していないという根本の問題が残るなかで、国の都合で進められている工事。そのうえやり方もずさん、ではますます溝は深まりませんか。

久田記者「もし『どのみち埋め立ててしまうんだからどんなやり方でもいい』という考えが国側にあるとすれば、それは間違いだと指摘せざるを得ません」

 

 

疑惑 ④ サンゴの「移植」について、防衛局はなんら手を付けていないまま工事を始めている ! いつどのように移植作業するつもりなのか明らかにせよ !

 

久田記者「またサンゴの移植についても疑問が残ったままです。移植が必要なサンゴは小型サンゴの群体で7万4000を超えますが、移植のためであってもサンゴを取るには県知事の許可が必要ですので、移植作業はこれまで確認されていません。移植をきちんと行おうとすれば、工事への影響は避けられないはずですが、この時期や規模を県と協議しないまま工事を進めることは、埋め立て承認の条件に違反していると県は繰り返し国側に伝えています

久田記者「ただ、着工から1か月たった今、県側が工事を止める具体的な手立てを打ち出せているかというと、ほとんど動きはありません。翁長知事は3月に『埋め立て承認の撤回を必ずやります』と明言しましたけども、このまま、何もかも国側のペースで工事が既成事実化されることは避けたいはずです。しかし、以前から言われている差し止め訴訟なども含めた行動に移れるかどうかは依然不透明で、今後ますます事態は混迷しそうです」